space×drama2016の感想を様々な視点で載せていきます 。300文字以上の感想を各劇団が書いていきます。皆様もコメント欄に是非お書き下さい!


by spacedrama
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カテゴリ:劇団カメハウス感想( 13 )

舞台監督CQ/ツカモトオサムです。
本当に感想が遅くなり申し訳ありません。

2003年から足掛け14年続いた應典院寺町倶楽部主催の「space×drama」が、本年を以て終了する。
開催の初期から幾つもの劇団で舞台監督を担い、2010年からは全ての作品を拝見して来た。
今や「スペドラにハズレなし」と断言できる良質の舞台芸術祭であり、大阪を代表する演劇祭の一つであった。
最後のs×dを飾る1作目、劇団カメハウスの『どろどろどるーんぷらすてぃっく』は舞台監督を務める作品ゆえ、とりあえず頭を舞監から観客に切り換えて15日の昼公演を観劇し、感想を述べる。

普段のカメハウス本公演よりパフォーマンスは抑え気味、冒頭と終盤に長尺のパフォーマンスを配置し、主人公の日常の出来事と記憶のスケッチをコラージュさせ、スピーディーなパフォーマンス転換で次々に見せる構成で、オープニングとエンディングを印象的な同じ場面で挟み込んだ王道的な構造である。
主軸を成すのは、舞台装置を最低限に絞り、無言シーンを多用する淡々としたペースの会話劇で、敢えて不要とも思える性的描写を極めてリアルに描き出す。
場面を繋ぐ転換は、本編に相反して猛烈にスピーディーで、不要なまでの物量の小道具を出捌けさせたパフォーマンス転換で、本編の緩さと転換の急さ、双方が交互に配置されることで緩急のコントラストをより明確に際立たさせる構成になっている。
この緩急の配分は絶妙で、2時間の長さを最も感じる中盤を過ぎても、ほとんどストレスを感じさせない。
更に時間軸を操り、回想シーンを時間軸の延長で在るかのように挿入したり、濃厚な絡みが劇中劇であったりと、現実と虚実の境目をあやふやに描き、ミスリードさせるのが実に上手い。
また、この作品自体が文化祭の出し物として発表されたクラス劇でもあるように密かにメタフィクションさせている点も見逃せない。
自殺した兄が遺した1冊のノートには1年間の日記が綴られており、主人公が兄の日記に記載された通りに、兄と同じ1年をなぞるように過ごす。
兄の恋人に似た女生徒と付き合い、そして来たるべき日に別れることも、日記に書かれた出来事の再現である筈だ。
何故、主人公は兄のノートの記載通りに行動するのか?
どうして同じ日に死ななければならないのか?
この作品には物語としての重要なファクターが抜けているばかりか、本作の最大の謎「何故、兄は自殺したのか?」さえ、語られない。
つまりはこの作品が物語を見せるモノではないことや、死の真相や何らかの解答を探し求める作品でも無く、主人公の妄想や白昼夢の虚像と、回想や思い出の現実をフラットに扱い、1年間の出来事の中の記すべきコトを、2時間に凝縮した主人公の世界そのものと言える。
それはまた兄の日記を忠実にトレースした1年でもあり、兄の世界ともリンクするカメハウス版のドグラ・マグラなのだ。
この世界観は映像的で、夢を題材にした「パプリカ」に代表される今敏の映像作品に近しい。
兄の恋人にそっくりな自分の彼女は一人二役で演じられ、クラスメートが貸し借りする市販のノートは兄が日記を書いたノートと同一で、幾らでも観客をミスリードに誘いだすミステリ要素や仕掛けを豊富に含みながら、敢えてその方向には進ませない。
過激な性描写を連続して見せながら、それらさえ淡々とした日常の一部に埋没させてしまう。
どれだけ頑張って近付いても、他人のことは解らない。
自分は自分でしかないと悟った時、淡々としたモノクロームの日常が、俄かに色付き始める。
誰かを好きになることは、セックス以上に気持ちが良い。
3月31日のプラカードは無粋である。
台本指定通り、日記の記されたノートの3月31日が望ましい。
ラストシーン、彼女のセリフは蛇足である。
だが時として、言わなければ決して伝わらないコトも確かに在る。
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by spacedrama | 2016-06-11 04:11 | 劇団カメハウス感想 | Comments(0)
劇団カメハウス第拾壱回本公演『どろどろどるーんぷらすてぃっく』観劇。
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=73208


遅くなり申し訳ありません。
石田1967[LIN′XS]です。よろしくお願い致します。

亀井ワールドの新しい側面を見せる作品だった。
僕は奇蹟的にも彼、亀井伸一郎くんが作ってきた作品を、最初からほとんど全部目にしている。
だからこそ、その時々の揺らぎや産みの苦しみを目の当たりにしてきた。
そしてその作品ごとに自身より滲むものをスプリットしている事もよく感じていた。

で、
今回の作品だ。

この作品をやる!と、決まった時に彼は僕にこう言った。
「まだ今までマサさんが観たことのないカメハウスを見せます。」
作品を作る前にいつも彼がいう儀式のようなものだ。
そして、
その言葉が発されるたびに、彼はそれを超えてきた。
色んな意味で!

とにかくこの作品について書こうと思う。


作品についてはデリケートな部分も多いし、
何より作者の内面世界が描かれており、
ライトノベルのようでもあり、
淵の見えない闇のようでもあり、
そうした心像風景を亀井くんは自身から滲み出るパフォーマンスを駆使して舞台を彩る。

僕はTwitterにてツブやいた言葉がある。
それをここに書き出してみる。


「やはり亀井演出のパフォーマンスは一級品!
しかも文学的要素が更に高くなり宮沢賢治が滲む。
蒼と紅の時間。」


これは的を得た言葉だと思っている。
アニメのコマ割を舞台でまんま表現するとして、
それらを物理的にも、ねじれ空間を表現し尽した舞台が面白くない訳がない。

僕が作品を観て喚起する「宮沢賢治的な描写」も、
亀井ワールド全開で、
美しく耽美なものを僕ら観客に届けてくれる。

しかも途中で挟まれるキスシーンやセックスシーンの描写なども、
昨今の小劇場では考えられないくらい踏み込んでいる。
またそのシーンにはその粘膜が響く音と、女の子の喘ぎ声だけが浮かび上がるように演出されている。
静かな時間ではあるが、
人の脳内を、そして本能を刺激するシーン。

とにかくコラージュ的に主人公のモテ男ぶりが鼻につくが、
彼はそれを静かに受け入れているだけで、
肉食的ガッツキがないし、
何よりも佐藤駿くんの無味無臭さが許せる許容量を有する。

さて長々と書き連ねたが、
この作品は今年の演劇作品の中でもかなり上位に評価される作品だと僕は思う。
チープさも含め、それはその時にできたMAXであり、
彼らの「もがき」だとも感じているから、
僕も奇蹟的に3回舞台を感じ取れて嬉しかったのだ。
更なる躍進を望みます。
ありがとうございました。


LINX′S
石田1967
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by spacedrama | 2016-05-23 12:03 | 劇団カメハウス感想 | Comments(0)
感想が遅くなって申し訳ございません。
15日19:00の回を観させて頂きました。

社会に出てわかる、いかに学校という存在が異常なものであったか。
日常に見える非日常の生活が、いかに貴重な時間だったか。

なにかどろどろとしたものが溶けている。
透明なんだけど、今ははっきりと美しいとわかる。

でも中からはそれらがはっきり見えているつもりだっただけで、結局は何にも見えてなかった。
学生時代って、僕にとってはそんな感じだったように思います。


作中の性行為は、「エロス」という程高尚な行為ではなく、「破廉恥」という程軽々しい行為でもない、
言葉にするならただただ「エロ」い、折衷しているようにも、どれにも該当しない行為なようにも見えました。
最初はなかなか感情を表に出さない鈴木君が、日常から乖離して虚無感を感じつつ本能が求めてそうしている。もしくは複雑な心境なのか。
行為に罪悪感や後ろめたさが見えるわけでもなく、かといって超肉食系に見えるわけでもない。
まるで駅のホームの白線上から生と死の境目に立って精神と肉体がふわふわしているときの感覚のセックスというか、
でもそれこそが「一線を越える」感覚なんだきっと。うまい。
なんにしても「エロいもんはエロい」と、あらゆる感情が入り乱れている結果虚無的なセックスに見えるその演出が絶妙で、
また若い役者さんたちだからこそ、素とも演技ともとれるような見え方をしたのがたまらなく新鮮であり、
学生時代にコンプレックスがある僕は正直たまらなくモヤモヤしました。
また中盤でおっぱいが出てきました。僕が今まで舞台上で観たおっぱいは、彫刻みたいな体の女性がいかにも芸術的でございとみせつけてくるいわゆる「エロス」な身体だったんですが、「芸術的」の定義もよくわからないですが、少なくとも彫刻を見た時のように性的興奮とは切り離されたところにあったと思います。
でも絵描きの女学生のおっぱいはとても健康的で美巨乳で、「エロス」も「破廉恥」も超越して、悔しいけど結構興奮しました。このあたりから僕の中で鈴木君に対する本格的なジェラシーが顔を出したので、鈴木君の不可解な挙動についていけなくなりだしますが、でも同時に自分の学生時代の、精神が本能に支配されるような性に対する初期衝動や、青い死生観がぼんやりと見えだしたような不思議とノスタルジックな気持ちになり、ちょっと鈴木君に気持ちが乗り出したような気になった自分もいました。
でも、それ以降絵描きの子はほとんど作中に登場しなくなりました。
絵描きの子だけじゃなく、図書室で勉強してる優等生や、女教師なども親しくしてはいるけども、それ以上の展開は見ることが出来ませんでした。
まるでエロ漫画の前フリだけみせられているように。この人らとも何かしらあるんじゃないかとフェイントをかけられた。

もし場転につぐ場転が、彼の学生時代をかいつまんでシャッフルさせたような世界なら、
鈴木君の頭の中に残っている記憶のほとんどがピンク色をしていることが男子だな、とも思えるけど
でも、あんなに強烈な性体験をしているのだから、そりゃ当然だよねとも思えます。
でも描かれていない女子たちとのなんやかんやが、兄への執着心と、強烈な性体験によって振り落とされてしまっていたのなら、
記憶から破棄された、描かれなかった女の子たちの物語があったら、悲しいことだなと。
いや、悲しいことなのか?少なくとも図書室の女の子は、最期まで純に彼の事を想っているようだったので、何の発展もなく卒業しちゃったんだろうな。それは悲しいかも。彼の中に残っているのは、いろんな人から聞いたハムスターや寄生虫の話など、彼の境遇から引っかかりのある事柄だけを抜き出されただけ。

それか、すべてが彼の妄想だとしたら?

浦島太郎亀助けてない説を聞いたことがあって、
海辺を歩いていた浦島太郎が、いじめられている亀を見つけて助けようとしたんだけど勇気が出なくて助けられず、
その後悔や罪悪感から逃げて「もし助けてたら亀に恩返しされて、乙姫様にモテモテになって──」と竜宮城や乙姫の空想の世界にふけっているうちに、はっ!と気づいたら爺さんになっていたという、悲しい夢物語のように。
だとしたら日常の中の非日常なセックスも、主人公が妙に皆に構われる存在なのも納得、───できるようなできないよな。。
もしかしたら最後の彼女の一言も、「あの子と目があっちゃったーこんなこと思ってたりして。」とかいう彼の妄想だったりして。

別に彼が羨ましいからそんなこと考えてるわけではない、で、ござる。

無名劇団 太田


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by spacedrama | 2016-05-20 19:31 | 劇団カメハウス感想 | Comments(0)
カメハウスの長編は初めて観ました。本当にアニメのような、絵画のような演劇の作り方だなと思いました。

演劇なのに平面的で生っぽさを感じさせない。目の前で繰り広げられる動きによる展開だけでなく、キャラクターの感情さえ平面に見えてくる。
つくられた世界の中で生っぽさを感じられるのは、女優が裸になるシーンとかダンスによるの息づかい。それでもそれらも絵の中の像に塗り籠められている気がする。
これはどこまで計算で作られているのか興味深い。
生の舞台を創作するのに、逆説的にアニメや映画に近づけることで立ち上るものは何なのかそれが掴みたい。
掴めないならアニメでいいのではないかな。

舞台故に俳優の頑張りや、美しい舞台美術や絵づくりの良さが利いている。
それに対して、小道具の甘さが目について仕方ない。
図書室の本と棚、枝、なんか便利に使うパネル、「3月31日」のパネル。この辺りが何故か雑に作られている。
これらがアニメなら舞台美術と同じテイストで美しくハマるのに。

創作は「あえてやる」っていうのがあるから難しい。「あえてショボくしているんです」って言われたらそうなんだ。
けど、他とテイストを合わせるなら、トータルコーディネートするならそうじゃないんじゃないだろうか。
その瞬間瞬間は美しい、けれども転換の動作はシステマティックに動きつつもその時間がかかり、繰り返されると飽きがくる、時間を長く感じる。
この場面転換もアニメなら必要ないのに。

アニメでは、映像では越えられない、時間と場所の制限があるから演劇や演出は面白い。
カメハウスのこの手法で、演劇の方がアニメより面白いって作品に昇華できればそれが観たくて仕方ない。

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by spacedrama | 2016-05-20 02:46 | 劇団カメハウス感想 | Comments(0)
 劇団カメハウスの「どろどろどるーんぷらすてぃっく」を観てきた。

 まず美術で目を引くのは、舞台奥の大黒から袖パネルまでを使って舞台全体に大きく描かれた梅の花とその枝の集合体だ。

 (改めてチラシを見たら花びら五枚の桜がモチーフなので、記憶違いかと思ったが『四枚だからあれは梅だ』と思った記憶があるので多分・・・いや、だんだん自信なくなってきた)

 桜にせよ梅にせよ、ともかく春のイメージである。
 根の張った樹木ではなく、あくまで『花と枝がこんがらがった集合体』という印象。それがコミックでの心の声を表すバルーンのような雲型に金の縁取りで切り取られている。これは現実の花ではなく、心象としての春の花というメッセージか。これからこの舞台で『今となっては春の日の白昼夢だとしか思えないないあの初恋の日々』みたいな感じのせつない青春物語が始まるのかとわくわくしてたら開演した。

 教室でのオープニングダンス。
 動きのキレもさることながら『教室のパイプ椅子』『信号機』『電車のつり革』『天井の蛍光灯』といった『代わり映えのしない通学路と教室』イコール『俺達の終わらないつまらない日常』を象徴する小道具がダンス中、役者の手によって運ばれてきては役者の手によって運び去られていくかなり強引なカットインの構成が面白い。
 こういった象徴的な小道具のモンタージュを使って通学の無感動さやただ時間経過と呼ぶしかない無為な時間経過を表現する手法は、深夜アニメのシャフト作品で多用され、イマドキの流行りというか、学生の自主映画などでもよく拝借されるもはや定番というか、手垢のついた表現である。
 しかし、演劇でやるとなると。
 今まさにかっこ良く踊ってた演者が一回引っ込んだかと思うと次の瞬間、袖からでっかい信号機を持って走ってくるわけで(しかもちゃんとそれが赤と青に点滅するのである)パクリとかなんとかを超越してバカバカしくアホらしくてとてもいい。
 終演後、作・演出・振付の亀井くん本人に「アニメの化物語とか好きだよね?」と聞いたら「はい!あれがやりたかったんです!」と屈託なく答えてくれた。作品の印象から想像してたよりずっと好青年でそっちの方がちょっと驚きであった。
 ダンス中の演者の表情もとても良い。輝きのない目。その目で表現される、どんよりとした虚無感。ダークな青春。とてもいい。
 ともかく、カッコいい見応えのあるオープニングでツカミはOKである。
 それにしても、ダンスの中でここまで色々とイメージを折り重ねて語れるなら、いっそダンス8割、台詞2割くらいの思い切ったバランスで作ったものも観てみたいと思った。(本人にそう言ってみたら、いつかやってみたいと思ってると答えてくれた)

 さて、物語は主人公である妙に温度の低い少年あかり君に興味を持った同級生の少女あかり(同じ名前なのである)が、彼に風変わりなアプローチを開始するところから淡々と始まる。
 なるほど『変わり者同士の恋』かなどと思って見ていると、どうやらそれほどストレートな展開のストーリーではないようだ。
 前半部は学校内や通学途中での会話のシーンをただただ無作為に並べただけとすら感じられる即物的な構成で描かれる。前後するシーン同士の関連性もあえて薄く感じられるようにしている印象だ。
 そういう手触りの作品、ゆえに笑いの要素は一切ない。
 さらに劇伴(BGM)も、後半の劇中劇の中のものを覗いてまったくなし。
 その上、我々観客の目と鼻の先で表現される、ほのめかしなどではないそのまんまの『性行為』・・・。

 気まずいわい!!

 そう大声で叫びたくなるが、叫べないのが観客というものだ。
 亀井くん、そんなにお客をいじめないで。
 しかし、このあえての説明不足&不親切な演出&うれしくないエロの三拍子が生み出す独特の緊迫感が『なんでこんなセックスに不自由しないモテモテ高校生のライトノベル的会話を延々聞かされなきゃいけないのでしょうか、リア充爆発しろ』と両断されかねない物語に、ある種の切実さを与えることに成功していたのは認めざるをえない。
 映像作品での常套手段である『そっけないぶつ切りのシーンの羅列』も実は、演劇でこれをかっこ良く仕上げるのはなかなか難しい。ドタバタやってしまったら何の意味もなくなるからだ。
 この作者はともかく転換がうまい。
 切り替えのタイミングもなかなかだし、手法の手数も多く、しっかり処理されていたと思う。なかなかに凝った『魅せる転換』は逆に本作の見どころの一つとなっている。
 
 さて、そろそろ全体のあらすじを書きたいところだが、ぶっちゃけ語らずにすませたいのである。
 神に誓って途中で寝たりなんかは絶対にしていない。しかし、中盤あたりで演劇部が演じる劇中劇が挿入されたあたりから、ほんとに白昼夢のように記憶が混乱してしまい、筋道立ててうまく説明が出来る自信がまったくない。
 ざっくり理解したと思える要素だけを並べると、セックスは頻繁にすれども心ここにあらずのモテモテ主人公あかり君の抱えていた心の問題は、兄の自殺であった。自分のつきあっていた彼女と兄がセックスしてるところを彼は目撃してしまい、その直後、兄は自殺したらしい。
 なるほど天井から時折、降りてきていた『巨大つり革』はつまり兄の首吊りをほのめかしていたのだ。
 その自殺以来、あかり君は火曜日の午後に兄の幻影を見るようになっていた。自殺は火曜日の午後だったから。
 それが明らかにされてからまあ、いろいろあって、くだんのヒロインあかりの熱意ある説得により主人公は死んでしまった兄でなく、ようやくヒロインの方(=生きる方)に目を向けて物語はラストシーンを迎えた。
 と、いう感じなのだろう。
 とりあえずそう理解した。間違っているかも知れない。

 とりあえず理解したというのも正直、劇中劇のこともあるが、途中から僕には本当によくわからなかったのだ。

 「兄なんてほんとにいたのか? 実はこれ、全部嘘なんじゃないのか?」

 そう考えてしまったから。
 兄が自殺したというが、この主人公はいっさい、兄がどんな人物で、自分は兄のことをどういう風に思っていて、自分と兄がどの程度似ていてどの程度違ったのか、といった台詞を口にしない。他の登場人物もそのことにはまったく触れない。
 血がつながった者が自死を選んだのだから、同じ血が流れている自分もいつか同じ選択をしてしまうかも知れないという恐怖は理解出来る。でも、その血のつながった兄が実際にいたのだという感じが全然しない。その兄の役を作・演出の亀井くん自らが演じているが、台詞は一切ない。陽炎のように、主人公の前に立つのみだ。
 物語の核心のはずなのに、どんな人物で、主人公は彼についてどんな風に思っていたのか、この兄弟が仲が良かったのか悪かったかすら謎のままだ。

 パンフには8割くらい実話だと書いてある。
 それにしちゃこの兄にまったく実在感がない。描き方が下手くそだからこうなってるというわけでもないだろう。
 実は僕が終演後、どたばたしているところ迷惑だろうに初対面の亀井くんに会いに楽屋に押しかけていったのはこのことを聞くためだったのだ。普段はそんなことしないが、一応この芝居について文章を書くと約束してしまった責任がある。

 「これって、亀井くんの高校の友達に、お兄ちゃんが自殺した子がいたってことなの?」

 作家本人ではなく、彼の同級生の誰かが高校時代、兄を自殺で亡くしたのかと僕は思ったのだ。

 それを演劇にする際に、その兄に会ったことのなかった作家は、会ったこともない兄のキャラクターを勝手に創作することをよしとせずその為にこういう表現になった。

 そう考えれば納得もいく。

 自分でもなかなか鋭い推理だと思ってた。

 そしたら、亀井くんが言うには、あの兄は『一時期演劇に挫折していた自分』だとか言う。
 そして主人公は『挫折から立ち直ってもう一度演劇を始めた自分』なんだとか。(細かいニュアンス違ってたらごめんね、亀井くん)





・・





わかるか、
そんなもん!!!

 まあ、そこをわからせようとは一切思ってなかったとは思うけど。
 
 出演者は皆それぞれの技量なりの一生懸命さが伝わり、それを行き届いた演出で丁寧に見せることに成功していたと思う。例えば、グループ活動でのわいわいと賑やかなシーン、手持ち無沙汰なのをごまかすためのわざとらしい小芝居をしている役者は一人もいなかった。
 おっぱい見せたり、パンツみせたり、足の指を舐めたり、セックスしたりといった今作独特の演出も、役者は大変だったろうに、変に力まずに自然に取り入れられていたと思う。

 最後に。

 この作品のスタイルは、主人公の抱えた内面的要素を主人公以外の各登場人物達が自分のこととして少しずつ語っていくことで、主人公の心象を浮き彫りにしていこうというものだ。
 これは漫画や小説、映像作品では高等テクニックとされている手法だが、演劇においては少し別のニュアンスを持ってしまうと考えるのは僕だけだろうか。
 どうしても一歩引いた目=俯瞰で見てしまうのが演劇である。アップも出来なければ主観ショットも使えない。ゆえに主人公の気持ちがいかに我がことのようにわかったとしても、僕ら観客は完全に同化して見ることは出来ない。
 前述の構造上しかたのないことなのかも知れないが、この舞台では登場人物みんなが、主人公に気の利いた会話のネタを持ってきてくれては、主人公をいちいちかまってくれているように見える。
 主人公あかり演じる佐藤駿くんがいかに爽やかなイケメンだったとしても、舞台上で行われている現象は『特に社交的とも思えない主人公がただ主人公であるという理由だけで、男女問わず、何故かみんなにちやほやされ甘やかされている異常な状況』に見えて仕方がない。
 それが僕には妙に気になってお話に集中できなかった。
 僕がもう40代のおじさんで、少年期は学校に全く馴染めないタイプだったから、こういう見方をしてしまうだけなのかも知れないけれど。

 とはいえこの作品は、一つの勇気ある挑戦として評価されるべきだ。

 観客受けを気にしてみんな同じような表現になってしまってはまさに本末転倒、それこそ演劇なんかをやってる意味が何もなくなってしまうのだから。

 劇団カメハウス。他の作品も是非観てみたいと思った。

 オカモト國ヒコ
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by spacedrama | 2016-05-20 00:56 | 劇団カメハウス感想 | Comments(0)
千秋楽の舞台を観せてもらった。高校生たちの儚い時間がコマ送りのように進む。
衝撃の裸体、セックスへの耽溺はエロスからタナトスへと傾斜していく。

主人公鈴木の時間が虚実皮膜を揺れ動いて演劇的。ヒロイン遠野がその時間を現実に回収する運びにホッとする。

作者の亀井さんは30歳だとパンフレットにあって、自分のその頃を振り返ってみたり。そういえば、自身への不安と期待が、不安定な劇構造を生み出したりした。この劇の歪な流れに共感する自分もいて。
コマ切れの場面が、オジサンには前半はしんどい。けれども場面のつなぎに演出で整合性をつけようとする辺り、野心的だし上手いと感じる。

作者の亀井さんが、一場で描き切るドラマを見てみたいと思った。その才はきっとある。
作品のスタイルを模索している過渡期なんだろう。洗練とか安定とか、まだまだ先でいいんじゃないだろうか。
演劇する意欲に溢れる一作であることは確かだ。
観劇の帰り道、降りだした雨のなか、記憶に残る場面を反芻していた。
大いに刺激を受けていたのだった。

劇団太陽族 岩崎正裕
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by spacedrama | 2016-05-20 00:53 | 劇団カメハウス感想 | Comments(0)

梅の木に囲まれた教室。
パフォーマンスで魅せられる幻想的なシーンとパチリと蛍光灯が灯る妙にリアルな学生生活が行き来する。

私自身、制服を着なくなってしばらく経つが、この「高校」という場所は、演劇や映画、漫画、写真などの創作物において特別な力があると思う。
劇中でも触れていたが内の高校生達が悩み苦しもうが、大して楽しくないと思ってようが、外から見るとなんだか憧れてしまう。

図書室、屋上、プールサイド、こっそり線香花火、友達の家で勉強会、スナック菓子で打ち上げ、みんなで集まって初詣、クライマックスで走り出すヒロイン。

(過激な描写は結構あるが)ある意味学園物の定番と言えば定番な描写。
この高校という世界で、いかにも実際にクラスにいそうなキャラクターたちが制服を着て、弾ける笑顔で飛んだり跳ねたり踊ったりして日常を過ごすのがなんとも愛おしい。

そして、彼らクラスメイトたちと冷めた主人公 灯の学生生活にはギャップがある。
死に向かっていく灯の儚さに吸い寄せられる女子生徒たちの気持ちが少しわかる気がする。
わかりたい、できれば救いたい、しかしその影自体に魅力を感じるところもある、ほんとは少しだけ怖い。

3月31日、ハリガネムシはもういない。
表情豊かで熱くちょっと不思議な少女 明と生きていくことで自分として生まれ直せるだろうか。
キラキラと楽しく、晴れやかな作品で心地よかった。

遊劇舞台二月病
三村優里花
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by spacedrama | 2016-05-18 02:53 | 劇団カメハウス感想 | Comments(0)

彼らがどれだけ凄いか、そんなこと知っている人はもうずっと前から知っている。でも、知らない人もいるだろうから、今回スペドラに参加して、ちゃんと今までのファン以外の人にも認知してもらえばいい。スペドラの最後を飾る今回のトップバッターとしてカメハウスが登場した。今回の作品はいつもの彼らの作品とはいささか趣が異なるけど、これは傑作だ。

それだけで、初めて見た人たちを驚かせ、その魅力の虜にしたらいい。それが可能な作品だと思う。冒頭五分以上(たぶん)続くパフォーマンスに圧倒されるのだ。きっと。そして、その後、始まる静かな劇にも、驚くことだろう。さらには、あの圧倒的で過激な濡れ場にも。

もちろん、この個人的な青春回顧劇には、普遍性なんかない。そんなもの、亀井さんは意図しない。エンタメとして、これを楽しんでくれてもいい。重くて暗い青春劇と思っても、いい。万華鏡なのだ。どんなふうにも映る不思議の世界。高校の教室を舞台にして、ここはある種の檻で、そこに収監されている子どもたちは自由を奪われ、おとなしく、静かに死んだように生きている。だが、主人公の彼はここから死ぬことを通して抜け出そうとする。だが、果たして死ぬことがほんとうの自由を獲得することになるのか。だいたい彼は何に囚われていたのか。これはその「謎ときミステリ」でもある。答えはある。ある意味それは平凡な結論だ。だが、それこそが普遍で、そこに帰着する時、この作品は傑作となる。誰もが心当たりのある憂鬱と感傷がちゃんと描かれる。
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by spacedrama | 2016-05-17 22:20 | 劇団カメハウス感想 | Comments(0)
人が人と親密になるのは、それが必要なだけ。
そうではない事を強く感じた。
なぜならば、この物語の軸である男子高校生は誰かに何かを与えるような事をしていないからである。
しかし、登場する人物は皆、その男子高校生に好意で接する。羨ましい。
なぜそのような事が許されるのか。
人が何かに執着し、全力で生きる(死に向かう)姿が美しいからなのか。
これも劇中で語られている。
ハムスターとマグリットである。
劇中で男子高校生はハムスターの回し車を、「ハムスターにとっては娯楽」と言い切っていた。男子高校生にとっては自分の生き方(死への向かい方)も娯楽のつもりなのだろう。
しかし、回し車はハムスターの生態に基づくものである。ハムスターは身体が小さいので空腹が死に直結してしまう。常に新しいエサ場を求めて、走るのである。走っていないと死への恐怖がストレスになるのである。
男子高校生の生活は、死への恐怖からの逃走ではないだろうか。
それが周囲には魅力的に映るのである。
マグリットだ。劇中の優等生はマグリットの石が好きだと言う。石が浮いている超現実よりも。石が好きだと言う。
彼女には、彼女らには見えているのだ。実際の目に映る男子高校生が、死への恐怖に執着する意思に見えるのだ。
林の奥に隠れている太陽が見えているのだ。
享楽的な生活を送る者の多い高校生の中で、これは魅力的で無い訳がない。
そりゃあ、肌を合わせたくなるのかもしれない。
僕は女心があまり分からないタイプなので、的はずれな事を、こうも断言していたら恥ずかしい。
しかし、僕は意思は表面や現実を超えて人から人へと伝わるものだと、改めて考えさせられた。


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by spacedrama | 2016-05-16 20:56 | 劇団カメハウス感想 | Comments(0)
劇団カメハウス「どろどろどるーんぷらすてぃっく」

私が観劇したのは金曜日。

これを書いてる時点で2日経過しています。

観劇後すぐ、言葉が浮かびませんでした。
そして、今でも、なんて言ったらいいのかわかりません。

観終わってすぐ、ふわふわしている感じがしました。あったかくて、美しくて、どこか少し物悲しくて、でも満ち足りたような。

若い、青春のお話でした。

絵画的。まさにその通りな美しい絵がたくさんありました。

原色ではなく、かといってパステルカラーだけでもなく、淡い色と濃紺が溶け合ったような。そんな印象を受けました。


美しい。

これが私の抱いた1番の感想だと思います。

何が、とかじゃなく、その空間全てが。

劇場でなければ感じられない空気がありました。

どこまでが夢でどこまでが現実か。

今まで観たカメハウスさんの舞台とは違い、衝撃的でした。
でも、パフォーマンスになると、カメハウスだ!という感じで少しほっとしました。
ほっとしたということは、おそらく緊張感を持って観ていたのだと思います。
転換も素敵で、転換までもが一つの絵でした。


時間が許すなら、もう一度観たかった。
そう思う作品でした。


無名劇団 
柊 美月


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by spacedrama | 2016-05-16 02:06 | 劇団カメハウス感想 | Comments(0)