space×drama2016の感想を様々な視点で載せていきます 。300文字以上の感想を各劇団が書いていきます。皆様もコメント欄に是非お書き下さい!


by spacedrama
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カテゴリ:劇団冷凍うさぎ感想( 15 )

もう二週間も前になりますが、「ペチカとエトランジェ」終幕しました。
ご来場頂いた皆さま方への感謝が絶えません。

  さて、公演後の作品意図を説明する記事、ということなのですが、僕は何とも自分の作品を、言葉で説明するのがとても苦手不得意でありまして、書いては消し消しては書き、書けたけど間違えて消しなどを繰り返した結果、もう無名劇団さんの、そしてスぺドラの最終日にまでずれ込んでしまったわけであります。
すいません。

書けない書けないと言っていてももう仕方がないところまで来てしまったので、手短に、パパッと記しておこうと思います。結局長くなる場合もあります。すいません。

【あらすじ】
ある村に、外国から記者がやってきて、何かいろいろある。

大体こういう話であります。最後、記者が村から出ていくところも、何かいろいろの内に入っています。大体こういう話です。

 作品意図としては、複雑怪奇で情報過多な世界との遭遇と、拒絶、それへの迎合、あるいはその他もろもろと言ったところです。僕が生きている実感としてちっと世の中が複雑すぎて辛く難しいなぁというところがあります。それは、あらゆるメディア、特にネットやSNSの普及によってそうなった、ということではなく、掃いて捨てるほどいるたくさんの個人がそれぞれのドラマを紡いでいかんと日々を生きていて、それに伴う形で時間空間そこにある事物にもドラマが付加されていって、結果、世界はドラマで溢れている、という根本的構造の話としての複雑怪奇であり、情報過多なのです。世界はドラマで溢れている、というのは世界は愛で溢れている、とほぼ同義かもしれない、そう思い今ここに書きましたが、これは枝葉です。すいません。
 そう、世界はドラマで溢れています。そして我々はドラマが大好きです。何故って、僕ら一人一人がドラマを紡いでいっているからです。我々はドラマを眺めて、それを自分のドラマと照らし合わせ、かがみ合わせにしてみるのが大好きです。それによって、僕らは僕らのドラマを肯定してみたり、否定してみたり、観たドラマをさも自分のドラマの一ページであったかのように組み込もうとしたりしてみるのが大好きなのです。我々にとって、尊重されるべきは、我々のドラマです。でも、ホントにそれで大丈夫でしょうか?我々個人のドラマに、そんな風に尊重する価値などあるでしょうか?尊重されてしかるべき質と量を有しておるでしょうか?
そんなわきゃあねぇだろ、と僕は感じます。世界の圧倒的質量の前で僕らの大好きな僕らのドラマは押しつぶされていきます。そういう実感が、僕の生きている実感です。
僕らは世の中の中にいるわけですが、上に書いたような視点を持つとき、僕らは皆エトランジェになります。
世界の外部に視点を置き、世界を対象として観察しようとしているわけでありますから、そうなるのは当然であります。
 エトランジェである僕らの、愛おしくて仕方がない僕らのドラマを世界は捻りつぶしつつ、日々回っていきます。そのような前提が、ペチカとエトランジェにはあります。記者のドラマは生成される前に、他人のドラマによって押しつぶされます。かといって、その他人のドラマが十分に成立しているかと言うとそうでもなく、それもまたただの断片です。そのような断片が、処理できない速度で暴力的に押し付けられてくる、というのがペチトラで書かれている世界の在り方です。押し付けられて押しやられて、我々はどんどんと世界の枠の外から
世界を眺めやることしか出来ないエトランジェとして廊下に立たされています。既に出来上がった、授業がもう始まっておる教室、遅刻してしまった我々は、先生の怒りを買い、中に入れてもらうことが出来ないどころか、罰として廊下に立たされてしまうことになったのです。しかもたっぷりと水が入ったバケツを持たされて、です。そういうもんだ、と言い聞かせて、何とか乗り切りましょう。
 芝居は進行していきます。最初は自分だけ廊下に立たされていることや、持たされているバケツが重いことへ意識が向いていますが、その内、教室内でどのような会話が為されているのか、聞く余裕が出てきます。
観察者としての視点を確立していきます。相変わらず、聞こえる聞かされる会話は断片ですし、投げ方もいたって暴力的でありますし、授業がどのように進行し、それがどう受容されているかまでは把握できませんが、
何となく、自分の中で補完する術が分かってくるのです。観察者であり、エトランジェである、という自意識が成立することによって、枠の中での身の振り方が少しずつ分かってきます。そうして、あぁ、あの時はあぁ応えればよかったのか、などという発見学びが生まれてくるのです。
 教室の中は先生を中心に盛り上がっていてとても楽しそうです。
 幸運にも、夏が近い為、廊下に面している教室の窓が開いていました。窓の側に座っている彼に話しかけてみましょう。彼は、バケツ重くない?とか足痛くない?とかは言ってくれませんが、会話はしてくれます。先生がうざいとか、ここの問題の意味が分からねぇとか、そもそも、こんなこと勉強して何になるんだよ、とか。親近感が湧きます。他にも数人、窓の側に座っている人が話しかけてくれるようになります。分からない問題の答えを教えてあげて見ましょう。先生はその様子を見て、我々の遅刻を許し、中にいれてくれるようになるでしょう。
 さぁ自分の席につけました。もうバケツは持っていません。しばらくは、そこの一員として授業を聞いてみたり、問題を解いてみたり、隣の席の女の子の半袖の口から見える肌にドキドキしてみたりするのも楽しいです。 しかし、その内気づいてきます。たとえば、その女の子がキモイなこいつ、という目で睨んで来たり、先生にきょろきょろすんなと怒鳴られたり、消しゴムを落としたものの、自分の席から離れすぎていて拾えなかったり。しかもだあれもその消しゴムを拾ってくれたりはしないのです。皆々それぞれ、授業を聞いてみたり、問題を解いてみたり、隣の席のスポーツ万能爽やかイケメンに恋してみたり、消しゴムを落としたものの自分の席から離れすぎていて拾えなかったりとと忙しいからです。でもそこで立ち上がって取りに行きゃあ先生にまた何立ってんだと怒鳴られるかも知れない。
 あぁ、困ったな。困った。中に入れた!と思っていた分、より疎外感を感じます。これならば、外にずっと立っていた方が良かった。でも、教室ってのはそういうもんだ、そういうもんだなと言い聞かせましょう。
 すると、さっきから隅でがやがやとやっていた不良グループのヴァイブスがめちゃアガッてきました。ぎゃーぎゃー喚き散らしたり、先生に紙飛行機を投げたり、袖口から肌を覗かせている女の子におい、ヤらせろよと言ってみたり、みんなの消しゴムを落としたりし始めます。こりゃあ愉快だ!自分も一緒になって消しゴムを落としたり、ヤらせろと言ってみたりしましょう。愉快です!しかし騒ぎを聞きつけた生活指導の先生は体育教師です。生活指導の上、体育教師なのです。その二重の暴力性の前に、不良グループの一人は生活指導室へと連れていかれます。フロアーのテンションはガン下がりです。泣き出す不良グループ。理解が追いつかず、泣き叫ぶ不良グループ。そういうもんでしょうか。
 行き場のなくなった疎外感は、突発的で発作的な行動を誘発させます。こんな教室、こんな授業、ぶっ壊してやるぜ!手ごろな学習用机や椅子を振り上げてみましょう。それで、先生や学級委員をボコしてみるのです。どうだ、参ったか。向こうは冷ややかな目つきです。優等生を気取るのに疲れた学級委員などは、もう殴ってくれりゃあいいよ、などと言います。ムカつくぜ!
 ああああ!叫び声。何だ!と振り返ると、クラスのみんなで飼っていたメダカの水槽が棚から落ち、自分の机の側に置いていたバケツが倒れ、窓のガラスが割れ、後ろの席に座っていた山本さんがケガしています。山本さん、ほのかに好きだった山本さんがです。
 教室はパニックになり、授業は中断されます。すべての事故は、自分が椅子を、机を振り上げた時に起きました。そんなつもりじゃなかったのに。おれは、ムカつくシステムマン共をボコしてやりたかっただけなのに。「おれは悪くない!何でこんなとこに居なきゃいけねえんだよ!何か意味あんの?義務教育とかじゃなくて、何かおれが今ここにいなきゃいけない理由ってあんの?ないの?」空しく教室に声が響きます。誰も反応してくれません。
 ガタン!「いや、もう食べられないよ…」クラスの輪の中心、愛すべき人気者、斎藤くんの声です。あんまりクラスに馴染めなかった僕に、「一緒にサイゼ行く?」と言ってくれた斎藤君の声なのです。「え?!食べられないって何?食べられないって何?!え、サイゼ?!サイゼの話?!」そう喚きながら彼の方を見ると、彼は机に突っ伏しています。彼は寝言を言っただけなのでした。
 帰ります。もう帰ります。家に。あ、でも今家帰ったらお母さんに怒られそうだから、もういっそ死にます。車道に飛び出して死にます。そんな気持ちで正門へ向かって歩きましょう。ふと振り返ってみましょう。 教室の中はもう休憩時間のようです。授業は中断され、教室はパニックになったはずでしたが、終業のチャイムを経て、皆皆、気持ちを切り替えて、やっていっています。笑ったり、暇そうにしたり、メダカを新しい水槽に移してやったり。あぁ。教室すげえ。皆、結局やっていってる。おれが何しようと、いなくなろうと、やっていってる。すげえよ。おれもはや関係ないけど。すげえ。そういうもんなんだなぁ。すげえ。おれがどうこう出来ることじゃないんだ、すげえ、そういうもんなんだ。

 これが、ペチカとエトランジェの核に近い層についての解説です。あの話は、さらにその上に何層かのレイヤーがかかっていて、それがまた違うテーマ性を帯びており、それによって更なる複雑怪奇を試みているのですが、それらについては他の感想ブログの記事などによって触れられたりしているので、僕なりの意図を語ることはしません。そういうことです!というわけではないですが、そういうもんではあるとおもいます。
 すでにこの記事は長すぎるのです。ここらで終わります。すいませんでした。ここまで読んでくれた人、いないと思いますがありがとうございます。
 感謝です。
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これは、感謝する僕です。
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by spacedrama | 2016-06-12 09:16 | 劇団冷凍うさぎ感想 | Comments(0)
舞台監督CQ/ツカモトオサムです。
s×d、3本目、冷凍うさぎを29日(日)観劇。
多くの偏屈者のアーティストが産み出した作品のオマージュであり、寓話風にまとめた風刺劇。
登場する人物の個性や劇中の出来事は、誇張されてはいるが現実のメタファーであり、この国は現代の日本であり、拡大解釈すれば世界全体でもある。
日本の別称の一つに大八洲と言うのがあるが、外八洲・内八洲史観によると世界は日本を模して造られており、歴史や地理に於いても日本史に符合する世界史が多く存在し、日本の主な島の形状が世界の大陸に見立てられ、世界の大陸を日本地図に当てはめれば、端々に見事符合する地名が実際に在って、あながち偶然の一致では済まされない多くの事実から、日本雛形論を真剣に説く学者もいる。
日本雛形論によると日本は世界の縮図である。
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客席を進むと舞台と言う異世界があり、そこに迷い込んだ異邦人である主人公の記者は、多くの人々との出会いから世の中の貧困や争い、政治や経済やエネルギー、医療、教育、宗教、云々、社会の表側、裏側と、あらゆる問題を見て歩きながら、何一つ記事に書けないで居る。
唯一、上司から記事として認められるのは、自らが起こした炭坑の火災事故であり、つまりはヤラセ報道である。
世界で起こる事件や事故は、決して対岸の火事では済まされない。
それは日本でも起こるコトであり、既に起きたコトかも知れない。
情報量が多過ぎて、処理しきれない作品でもあるが、それは現在の日本に生きる我々一人々々の姿に他ならない。
この作品は変だ、どこかおかしい、間違っていると感じたなら、それは正しい思考と言える。
現代をここまで誇張しなければ間違いが判らないほど、世界も社会も歪曲し、事件に、事故に、日常に、我々は麻痺しているのだ。
私の見立ては些か異常か、或いは極端かも知れない。
メタファーにこだわる必要もない。
感じたままが全てで、それが一体何なのかを自分なりに考察しなければ、観劇することにも慣れてしまう。
終演後、アフターイベントに観劇講座を呼んでくれてありがとう。
観劇もまた一期一会、初めて観る作品に最初から慣れる筈などないのだ。
色々と考えさせられる作品で、教えと戒めも見事に描かれた、まさしく寓話劇であった。
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by spacedrama | 2016-06-11 04:18 | 劇団冷凍うさぎ感想 | Comments(0)
 遊劇舞台二月病の橋本です。
 毎公演、終演後の後説をやるように主催から命ぜられる。自分としては主催にぜひともビシッとやってほしいところなのだが、彼はシャイらしく、そこは何度お願いしても頑なである。後説を終えてお客様に挨拶をしようと劇場から出てみれば、「脚本・演出の方ですか?」と声をかけられたこともある。「実は違うんです……」と愛想笑いを浮かべるこの自身の胸の内にエトランジェが潜んでいる。

 エトランジェ(異邦人)の核心は、自身が異文化である自負である。自分の場合は「後説やってりゃそう思いますよね」というちょっとした気恥ずかしさと、勘違いさせている申し訳なさである。観客の想定と自分の実態にズレがある。そして自分自身それを見越しているから申し訳ないし、なんだか気恥ずかしい。エトランジェの自覚は「特定のコミュニティー」から一歩引いた地点にいることから生まれるとするなら、観客と劇団という「特定のコミュニティー」から自分は一歩引いてはいないか。なんで堂々と「主催はあそこです」と言えないのか。なんで愛想笑いを浮かべているのか、「すいませんね、どうも……」なんて言っちゃってるのかと、ふと思い出して「俺は異文化なんじゃないだろうか」と考えた次第です。細かい点では、我々は一様にしてエトランジェである要素を隠し持っていて、「異文化」はそこらへんに転がっているものだ。



 他の劇評ブログでも言われているが、最も印象深かったのはやはりバカチン様の存在であろう。自分はこの老人のキャラクターこそが一番のエトランジェなのではないかと思う。コミュニティーには確かに君臨している。さらに言えば、コミュニティーの中で「特別視」されている。この点はその土地の人々がバカチン様の「異文化」を了承した結果であることに他ならない。バカチン様の素性は作中では語られないが、舞台の一部とも言えるまでのその扱いはその他のキャラクターとは一線を画している。
冒頭から登場するこのキャラクターのポストに後に主人公がなるのではないか、と序盤をみながら予想したが、そんなことはなく、主人公は舞台となる国を去って物語は終わった。なぜそう予想したのかと思い起こせば、主人公のライターだけがバカチン様にとって代われる要素を持っていた。「異文化」であったからなのだと考察する。「異文化」でありながら物語が進むにつれて、その他のキャラクターと関わり、その「異文化」から脱却しかけたという点が、バカチン様のような「特別視」に繋がる過程を踏んでいたのではないか。そして毒ガス噴出の事故を知る生き証人としてコミュニティーに「君臨」することができるキャラクターだったのだと思う。


 先ほどから「異文化」と連呼しているが、この言葉を連呼している限りはその呪縛から逃れられないこともまた理解しなくてはならない。「自分自身は周りの想定とはちょっと違う立ち位置なんです」と言ったところで別に状況は変わらないし、ライターはそれが故に牢にぶち込まれる。なにかとんでもない大革命が起こらない限り、「異文化は異文化としての立ち位置」が逆に用意されているものだ。それはライターしかり、バカチン様しかりである。

 斯く言う自分自身も、まったく意識せずにこれまで後説をこなしてきましたが、周りの人々が言うには、自分の後説は「うまい」らしいです。ありがたい話です。異文化冥利に尽きるというものです。
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by spacedrama | 2016-06-05 02:12 | 劇団冷凍うさぎ感想 | Comments(0)
壱劇屋という劇団を主宰しております大熊隆太郎と申します。
2012年にこの應典院舞台芸術祭で協働プロデュース枠に選んでいただいたご縁で、この感想ブログを書かせて頂きます。

劇団冷凍うさぎ「ペチカとエトランジェ」をみました。

感想ですが、一言で表すなら「センス」です。
センスで作られた舞台って印象でした。
あらゆるものをセンスでやってやったって感じの。
なので基本的には放り投げっぱなし。
飛んでくる目の前のやりとり、どう受けてめていいか分からないやりとりA、やりとりB、やりとりC、D、E、F、とドンドンこっちに飛んできます。
もうね、壊れたピッチングマシーンです。(球種あり。)
で、何時の間にか壊れたマシーンから飛んでくる球を打ち返せるようになってるんですね。
慣れってのもあるでしょうけど、積み重なってなんとなく何やってるか分かってくるんです。
直観でずんずん作ったのか、それとも計算してそう見えるように作ったのか。

いきなり始まっていきなり終わる、開演と終演(音声アナウンスのみ)とか、全体通してわざと呈示し無いし。
なのでそれが気持ち良いと感じるか否かで作品の評価が分かれそうだが、僕の最近の興味が「大衆」なので、やはりどうしても頭に纏わりつくのが、この芝居は不特定多数の人には進めにくい、ということ。
もうこれは普通の感想ではないです、すんません。
劇団を運営してる頭で見てしまってますね。
今後もこんな感じのスタンスで行くなら、どう運営してアプローチするのが良いのだろうか、等と考えてしまう。
今回は、外への打ち出し方と作風に大きなズレがあるように感じたので、上演中は本当に意外だった。
もっとツタヤの洋画ファンタジーの棚にメインで置かれてるような作品かと思ったけど、マニアックな棚にあってもおかしくない。
割とポップに宣伝してたように思うけど違ったか。
いや、こういうある意思を持って作られた作品を、好事家のみのモノにしないようにするには、効果的なのか。
でも網にかかる好事家候補は少ないし、網にかからなかった客は二度と来なさそうな内容やったな。
僕はまた行くと思うけど。

俳優では棺桶屋がかわいくて好きでした。あと坊主頭の助手。
語り部に集まるガスマスクのシーンは最初と最後だけでも良かったな。
海を示唆する台詞があったから海の音をもっとつかっても面白かったかも。でもペチカか。
ライターと上司の電話はもっと見たかったなぁ。
好みとしては、もっと全体的に淡々と平坦に、必要最低限の言葉で、台詞をこちらに放り投げず、もっと眺めさせることに徹した方が面白かったんじゃないかなぁとか。
以上、感想でした。
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by spacedrama | 2016-06-03 00:40 | 劇団冷凍うさぎ感想 | Comments(0)
30日15:30の回を観させて頂きました。

台詞のテンポがとにかく早く、小気味よく会話が進んでいきます。
しれっと場転していたりするので気が抜けません。
これ、どれだけの観客がついていけてるんだろうと思いながらも、
芝居の流れに振り落とされないように集中して観ましたが、取りこぼした台詞は多く、
だんだん字幕のない洋画を見ているような気になっていきました。
そんなことを考えながら観ていると、もしかしたら分からせる気がないのかも、とも思うようになりました。
分かる人にだけ分かればいい、分からない人は置いていく、とでも言いたげな芝居。
豪華な舞台美術で舞台上に一つのリアルな街を築く。
でもそれだけではなく、街をリアルに描こうとすれば、エトランジェである我々は、
そりゃ彼らの常識が非常識に見えるし、そんなに簡単に受け入れられないのは当然か。
最低限のコミュニケーションと、頭がおかしい(おかしく見える)民衆こそが、
同じエトランジェである主人公を通した観客巻き込み型の街づくりのために必要な要素になっていて面白い。
だから台詞の意味が解らないとか、聞き取れないとか色々いうのは間違いだという気がしてきます。

ペチカとエトランジェ。
「暖炉(ロシア語)」と「外国人(フランス語)」。
意味をもともと知っている人は別として、
ロシア人には「ペチカと******」
フランス人には「****とエトランジェ」
と、わかるところだけ聞きとれて理解ができるのか。
(まぁ主人公が言語を聞き取れない描写は無いけど)
でもどちらでもない人は、「*************」…


主人公が原因で、街を崩壊させる大火事が起こります。
自国の会社の上司から連絡があり、よくやった、記事になるなと褒められる。
あぁ、こっちはこっちでクレイジーな常識の国なんだな。
国が変われば常識が変わる。
常識同士のすれ違いと理解のされなさがこの作品のテーマなのではないのかと思いました。
また、外野から好き勝手なことを言っている、出版業界への皮肉にも見えました。

また、母が病気だと言って忙しなく働きまわる青年。
仕事を勉強できたことが何よりの報酬です!と、一旦お駄賃を拒否する彼、
やがて母の病状をみるのは人任せになり、仕事に生きがいを感じている姿に僕は、働き者の国日本の民衆を重ねました。


国が変われば常識が変わる。常識が変われば、評価が変わる。評価が変われば、立場が変わる。
ホームレスのような身なりの男は何もしていないようでも、民衆から崇拝されている。
立派な格好をしたえらい立場の酋長は、民衆から最悪な評価を受けている。

作中のペットのような扱いを受けていた男も、もともと外国に住んでいて、
言語は話せなくても、民衆の扱いは悪くなかった。
従順でありさえすれば、評価は変わり、この街で暮らしていく事が認められる。
ちょっぴり切ない社会の縮図を見たような気にもなりました。

ストーリー展開とかはおいといてそういった、風刺のためのようなお芝居に見えました。

始まらないドラマが、始まらないまま終わっていく。
ここは物語の舞台ではなく、ただの街なのだから、
劇的なことは、そうそう起きないよ。
そんなもんだよ。そう言われているような気がしました。

そうかぁ(´・ω・`)…

と思いつつ、夜の稽古に向かう僕でした。

無名劇団 太田

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by spacedrama | 2016-06-02 15:00 | 劇団冷凍うさぎ感想 | Comments(0)
《應典院舞台芸術祭 space×drama 2016 参加作品》
劇団冷凍うさぎ 第九回公演「ペチカとエトランジェ」観劇。
http://reitou-usagi.tumblr.com/


遅くなりまして申し訳ないです。
石田1967です。

舞台セットもよかったが、
何よりも舞台左に鎮座する電柱の上に無機質に取り付けられた錆びたスピーカー。
これがこの舞台そのものを象徴する指針となり心に残る。

物語は正直、進行しているのか展開しているのか、
その辺りが僕の中には全然入り込まなかった。
そこはすみません。

だが、
この作品は挑戦しているのだということは感じ取れた。
エンタメを排したエンタメを目指しているのかもしれない。
そんな不可思議なワードが頭に思い浮かぶ。

もう、全然ワクワクを殺して、
世界がゆっくりと動いて、
そして村(?)町(?)に錆びたスピーカーからの情報垂れ流し。
世界観に酔い痴れても、
登場人物にも寄り添えない。
ある種、受け付けない、受け入れられない作りをする覚悟が見えた。

ただその理路整然とした退屈を愉しむ人間は存外少ない。
そこに真っ向から斬りつけた方向性の意気やよし。
とも思う。


お疲れさまでした。



LINX′S
石田1967
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by spacedrama | 2016-06-02 12:09 | 劇団冷凍うさぎ感想 | Comments(0)
異国なのだろう。ペチカというのだからロシアかと思いきやそうでもない。
日曜の朝、TVで「ワンピース」を見ていて、なるほど無国籍・多国籍と捉えればよいと納得。

ひとりの男がふらりと街へ迷い込む序章はマカロニウェスタン。しかし男はガンマンでなく記者で、街でなく村へ入り込むのだから、これは探偵物。さしずめ金田一耕助。かといって、村のおどろな人間関係が暴かれるでもなく、ミステリーのセオリー崩し。ポール・オースターの「鍵のかかった部屋」だったかな、途中で探偵が消えてしまう奇妙な味わいの小説にも似て。

記者が安住を捨てて、コミュニティーに入り込む様はエリア・カザン「紳士協定」のよう。この映画ではグレゴリー・ペック(記者)がユダヤ人と偽って社会の反応を見る。というように、観劇中にいろんな先行作品が脳裡に浮かんでは消えた。つまりは、こう展開するであろうと予想されたドラマはことごとく裏切られた。まさか、村長の権力に対抗する民衆の蜂起につながるとは。ところが村長は、自分の権力すら要らないから譲渡したいと申し出る。そもそもクライマックスが成立しない。ガンファイトがない西部劇。犯人が判らず終いの推理小説。
スッキリしない終盤を、敢えて劇的と見るべきか。

そんなモヤモヤした感覚を煽るバカチンさまの存在と村内放送。音楽を多用せず、効果音勝負の音響構成が世界観を作った。演技者たちも力みがなく、この村の空気感を生きてうまい。
ああ、この人たちの、セオリーに則った芝居が見てみたいというのも本音。いずれにせよ、ラストまで引っ張って魅せる力量は充分にあったと思う。

岩崎正裕
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by spacedrama | 2016-06-02 00:11 | 劇団冷凍うさぎ感想 | Comments(0)
2時間の至福。こんなにも何も起きないし、よくわからない芝居なのに、なんだか心落ち着く。それはこれが声高に何かを伝えようとしないからだ。伝えたいことが、ないわけではない。きっといろんな意図がそこには秘められているのだろう。だけど、そんなこと、どうでもよくなる。ここを訪れた記者(エトランジェ)が、この不思議な場所で、いろんな人たちと、出逢い、別れていく。それだけ。

この作品の魅力は、深読みは可能だけど、それを強要しないところにある。最初は意図を汲み取ろうと、結構必死になって見ていたけど、そのうち、「もういいかぁ、」と思い始める。

ただ、この空間に身を置き、そこで何も考えず、ただ身を委ねていればそれでよい。そんな気にさせられた。そうすると、なんだかとても、ここちよい。描かれる不安や不思議を軽くいなし、彼とともに、この場所にいる。何が起きようとも、あまり驚かない。それに何も起きない、とも言える。(僕がわかってないだけかもしれないけど)

この作品の魅力はそんなわけのわからなさ。雰囲気だけで2時間を支えるって、凄いことかもしれない。芝居はストーリーを追いかけるもの、と思う人にはしんどい芝居かもしれないけど(反対に実に面白い、と言うかも)いろんな要素がごっちゃに盛り込まれたその作品世界にただ身を任せればいい。そうするとなんだかいい気分にさせられる。そんな芝居もありだろう。
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by spacedrama | 2016-06-01 22:26 | 劇団冷凍うさぎ感想 | Comments(0)
 その意気やよし。

 こういった「世界観モノ」という難しいジャンルにチャレンジするガッツは高く評価したい。
 この先、作家・演出家である森岡くんの視野が広がり、観客に他人事でなくいかに切実に提示していくかのテクニックが役者陣ともども磨かれていけば、数年後、ものすごい傑作を生み出すことが出来るかも知れない。
 志の低いエンタメ演劇など眼中に入れず、挑戦を続けて欲しいと思う。

 ただ、僕の汲み取り不足もあるだろうが、今作は正直、ほとんどの観客にとって退屈な作品だったと思う。
 並べるだけ並べたモチーフ=登場人物は十数人。
 神のように扱われる浮浪者バカチン、実はもうやる気のない裏表のある支配者酋長、首輪をつけられた犬人間、過去にとらわれじょじょに狂っていく炭鉱女、頼られることに辟易した怒れる医者、ヤク中の保安官・・・etc。
 なるほどうまく転がせば面白くなりそうなキャラクター達である。
 しかし、彼らは主人公の前に順番に登場してはそれぞれのキャラクターに見合ったディスコミュニケーションぶりを披露して去っていくのみで、主人公との関係性も曖昧なまま、人間的なドラマを紡ぐことを一切しない。
 なのでどう見ればいいのかよくわからない。なかなかに手強い舞台である。

 今作の主人公である記者は冒頭、本作の舞台である名も無き村で行き倒れ牢に入れられる。
 だが、すぐに村の支配者である酋長のはからいで釈放され、この村の紹介記事を書くよう命じられる。もともとその取材で来ていた主人公なのでそのことで特に危機感や使命感が煽られるわけでもなく、仕方ないなあというテンション低めの態度でだらだらと取材とも思えぬ取材を続けることとなる。
 驚くべきことだが、このあと主人公は殺人事件に巻き込まれたりしない。村ぐるみの恐ろしい陰謀に気づいたりもしないし、恐るべき地下組織に秘密裏に接触されたりもしない。
 ただただ登場人物のディスコミュニケーションぶりに辟易しているポーズを取るのみだ。

 チラシに書かれたカフカ、ウディアレン、アラン・ムーア、カート・ヴォネガットの名前はおそらく今作の作家である森岡くんの趣味だろう。
 ならちょっと考えて欲しい。
 グレゴール・ザムザは目が覚めたらいきなり毒虫になってるから先が知りたくなるのではないか。アラン・ムーアの描いたスーパーマンの最終回は、スーパーマンが死んだ数年後から回顧されるから一体何があったか知りたくて僕らはページをめくるのではないか。

 いかにこの作品が安っぽいエンタメを否定する志の高い作品であろうと、まずは何も考えず、主人公をある程度の危機的状況=“ひどい目”に合わせるべきだ。

 今作の退屈さの最大の原因は、主人公の記者がこの作家が舞台上に用意した異世界を観客が見て回るための乗り物としてまったく機能していないことだ。
 「世界観モノ」とは言わば「ライドもの」である。
 主人公に強い動機(危機感、使命感)があれば観客もそれに乗っかれる。しかし作家にそれを持たされなかった主人公はこの世界の内臓に迫るエネルギーを持った乗り物足り得ない。彼の体験に乗っかることでしかこの世界を味わえない我々観客も、同じくこの世界に深く切り込むことが出来ない。結果、何も浮き彫りにされないままただただ時間だけが過ぎていく。

 中盤、目に見えてシーン立てが迷走する。ように見える。作家にはなにかしら意図があるのかも知れないが、物語に明確な方向性が与えられていないから、今行われているのが何の為のシーンなのか観客である我々にはつかむことが出来ない。少なくとも僕には無理だった。
 意味がわからず置いて行かれたシーンの果てに、割と唐突に革命運動が提示される。クライマックスをなんとか導きだそうということだろうが、結局そういう展開に落ち着くならばもっと早くから提示していれば無用の混乱を避けることも出来たはずだ。

 そしてこの革命運動、驚くべきことだが、やる気のなかった主人公もいきなり参加している。
 実は中盤以降、主人公は人が変わったように前半とは全く違う、妙に饒舌なキャラクターになっていた。彼にようやくやる気が出たというわけではなく、その饒舌さは他の村人と同じ独りよがりのディスコミュニケーションなのである。違う方向性での饒舌なキャラクターが本作には出てこないので、もしかすると作家の手癖と演技論の問題なのかも知れないが、主人公はもう閉塞した村に住む微妙に狂った人間たちと同じ存在になってしまった。ように見える。そういう意図ではなかったかもしれないが、少なくとも僕にはそう感じられた。
 まったくもう、なんてこった、である。
 定石通りに物語を紡ぐなら、この村に変化をもたらすことが出来るのは外部から来た主人公の持つ、(村人達がいつの間にか失ってしまった)素朴なコミュニケーション能力だったはずなのに。
 クライマックスであるかと思われた革命運動はたった一人が保安官に撃ち殺されただけでへなへなと収束し、そして主人公が捨てたタバコの火が地下の炭鉱に燃え移り有毒ガスが溢れて村は滅びる。

 ラストあたり、主人公は神に見立てられた終始一言もしゃべらない浮浪者バカチンに食ってかかる。
 「お前はずっと見ていたんだろう、見下してやがったんだろう、何か言え」と。
 おっとこうきたか、と僕はここにきて興奮した。
 これはそういう物語だったのか。この長く退屈だった時間は、この神の言葉を聞く為にあったのか。なるほど、これは『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』だったのか。
 僕は、かたずを飲んで神に見立てられた浮浪者の言葉を待った。すべてが腑に落ちる神の言葉を。主人公も、他の多くの観客も静かに言葉を待っている。

 なのに、である。

 この神様はここでも一言も、何も言葉を発しないのである。

 なんなんだよ、それ!!もう・・・森岡くんのいじわる!!

 物語の始まりと終わりとで、登場人物全員にこれといった変化はなく、死んだり結婚するキャラクターもいるが特に深い意味は感じられない。成長なんかは別にしなくていいけど、人物同士の関係さえほとんど深まっていないのは上演時間二時間が完全に空転してしまっていたからと言えるのではないだろうか。

 最後に、主人公は滅んだ村を遠く見つめて一言こう言った。

 「そういうもんだよな・・・」

 つぶやくように、嘆くように、この諦めたような言葉を発する。
 たぶんこれはカート・ヴォネガットの「スローターハウス5」の挿話で語られるトラルファマドール星人が他者の死の際に肩をすくめつぶやく言葉=“そういうものだ”からの引用なんだろう。しかし、2016年の大阪にそんなことがわかる人が何人いるだろうか。
 分かる必要なんてないと作家は言うかも知れないが、そういう目配せだと判断しなければ、この台詞は作者自らが自分の作りあげた世界を崩壊させてみせた上で「(この世の中ってものは概ね)そういうもんだよな」となんだか悟った風に青臭く絶望して言っているように聞こえてしまう。客席にいた僕と同じくらいの中年たちはこの台詞を聞いて「いや、そういうもんじゃないよ、悪いけど」と冷ややかに心で突っ込んだと思う。おじさんたちはもう壊れやすいこの世界がいつ壊れてもすぐに立てなおせるように体勢を整えとかなくちゃという守る側の視点に立ってしまっているから。

 本作はジャンルとしてはディストピアものであり、この舞台上の異世界はこの作家が見た現実世界のカリカチュアであるはずだ。
 陳腐な例しか出せなくて申し訳ないが、例えば目の前で子供が死にそうなのに上の許可がないと動けないと言って煩雑な手続きをしているうちにその子供が死んでしまったとしたら、それは「悪しき官僚主義」がテーマのディストピアものなのだと誰でも分かる。
 ではいったい、この作品が浮かび上がらせようとしているテーマはなんだったのだろうか。僕には正直、作者の森岡くんの持っているはずの問題意識が一ミリもわからなかった。時代に取り残された中年でごめん。

 最後に。

 もしこの冗長な文章をここまで読んでくれてたら、森岡くん。前半に書いた主人公をひどい目に合わせればいいという部分で提案があるんだけど。

 例えば、主人公の記者が冒頭で行き倒れた直後、酋長に依頼された医者の手によって『男性器を切断されてしまう』というひどい目はどうだろうか。
 目が覚めて股間にアレがないことに驚く記者に酋長は言う。

 「お前の男性器は預かった!この粗末なものを返して欲しくば、この村で起こっている奇っ怪な事件を解決するのだ。それまでお前のこの控えめなナニはこのバカチン様の頭部に移植しておくことにする!」

 かくして、神と崇められる浮浪者に移植されてしまった自らの男性器を取り戻すため、主人公は謎の村で右も左も分からぬ捜査を始めるのだった!

 みたいな始まり方はどうだろう。僕の問題意識が伝わっただろうか。

 期待しているので、これからも頑張ってください。 

 オカモト國ヒコ
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by spacedrama | 2016-06-01 21:31 | 劇団冷凍うさぎ感想 | Comments(0)
金曜日19時半〜観劇しました。

私は劇団では演出を担当していますが、それも去年のスペドラからの話で、他団体の作演の皆さんよりも経験が浅くあまり難しいことはわからないので、ただの一般人が感じた感想として書かせていただきます。

舞台美術がとにかくいい。いくらかかったんやろう。予算いくらで組んでたんやろう。これ採算取れるんやろか。ってずっと考えてました。あと衣装も。
最近舞台美術に凝る公演って、以前に比べたら減った気がして。
そんな中で、久しぶりにTHE舞台美術を見た気がしました。美しかったです。

ものすごい勢いでセリフが展開していく、私の中ではブラックファンタジーなつかこうへいって感じで、新しい切り口やなと思いました。
私、どちらかと言うとファンタジーが苦手で、痛い痛いやめて、ってなることが多いのですが、冷凍うさぎはあの泥臭さというか、ファンタジーを綺麗にやらない辺りに好感をもてました。
話自体は、私の理解の範疇を超えてしまいまして、ほんでまたものすごい勢いで進行するからついていけなくなってしまったのですが、それでもブレないというか、信念を持ってあのやり方を選んだんだなと思うと、むっちゃ尖っててクレイジーと思いました。
冷凍うさぎの前作を拝見した時は、セリフも普通のテンポで、また話もさほど難解ではなかったのですが、いやはや今回はスペドラに合わせてきはったんかなと思いました。

「万人ウケなんて気にしないぜ!」「これがやりたいんだぜ!」という確固たる強い意志を感じまして、それが正しいかどうかはわからないですが、少なくともその姿勢自体が「ウケる」のだろうなと思いました。

「大丈夫かな」「これでいいのかな?」と日々迷う我々ですが、あれぐらい迷いなく、己を信じてやらないとダメやなと思いました!勉強になりました。


無名劇団 島原夏海

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by spacedrama | 2016-06-01 11:14 | 劇団冷凍うさぎ感想 | Comments(0)