space×drama2016の感想を様々な視点で載せていきます 。300文字以上の感想を各劇団が書いていきます。皆様もコメント欄に是非お書き下さい!


by spacedrama
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カテゴリ:s×d2015( 66 )



がっかりアバターなのに、とてもおとなしい作品だった。こういう家族の話をアンディが書くんだ、と感心した。家族のきずな、なんていう手垢のついた文言を唱えるつもりはない。だが、今回彼はとても真摯に家族と向き合う。だが、そこにはまるで繋がらないばらばらになった個々人の存在があるばかりだ。主人公である「ぼく」は、ここにいても独りぼっちだ。だから彼は「ようかい」と心を通い合わせる。しかし、それは現実ではない。

ようかいは家族に受け入れられない。彼一人、ようかいの世話する。しかし、これは孤独な少年と妖怪との心の交流を描くなんていうこれまた手垢が付きまくったハートウォーミングでもない。

家族はそれぞれが壁を作り、自分と向き合う。自分に閉じる。父も母も(なんと、関西小劇場界のベテラン、南田吉信さんと条あけみさんが演じる)兄もそうだ。だからぼくはこのしんと静まりかえった家で、ようかいと過ごす。

でも、そこにはなんの答えもない。寒いほど独りぼっちだ。そんな気分をアンディ坂本が作品として提示した。新鮮だった。
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by spacedrama | 2015-06-23 22:38 | s×d2015 | Comments(0)
無名劇団の太田と申します。
投稿が遅れまして大変申し訳ございません。
がっかりアバターさんの「この町で、僕はバスを降りた」
6/14(日)19:00公演を拝見させて頂きました。

がっかりアバターさんのお芝居を観るのは初めてです。
この作品を観た後アバターさんの常連さんの感想なんかみてると、
「意外とまとまっている」だの、「下ネタが控えめだった」だの、
「意外とハッピーエンド」だの、これが!?と。
これまでどんなとんでもない作品を書いてたんだろうと思うと、
恐ろしい限りです。

僕個人の面白かった面白くなかったという結論はさておいて、
僕は頭が固いから「バスは?ねぇバスは?」
と問いただしたい気分です。
でも作演坂本さんの頭の中のどこかに存在してるのであろう
「この町」のバスについて、具現化された彼の豊富なイマジネーションの
中にうずもれてしまったバスをその町でずっと探しています。
以下、思ったままの解釈を書きます。

バスを降りたのは誰なんでしょう?

主人公には確か役名がなく、資料には「僕」とだけ書かれていました。
だから先入観で「この町で、バスを降りた」のは「僕」だと思ってました。
失うとわかってるものは「妖怪との死別」らしい。
てことは結局妖怪と死別した「僕」が、
その町で観た非日常のような日常の街の様子をなめながら
妖怪との馴れ初めを回想している?
イヤホンでJ-WAVEでも聴きながら、
自分の気分に関わらずおよそ似つかわしくないBGMが頭の中で流れながら
町を徘徊していて…みたいな。
あー…こっちが正規ルートな気がしてきたな。
でもそれじゃ「バスは?ねぇバスは?」

本当に潔い程バスのバの字も出てこないのでもしかしたら、
バスを気まぐれに降りた人が
イヤホンでJ-WAVEでも聴きながら町を徘徊していて、
日常の街をなめながら非日常な妄想をしている?
それで、「この町で、僕はバスを降りた」…?

結局バスの意味がわかりません。

また夏祭りの心臓バクバクシーンで、
心臓の音がだんだん花火みたいな音になってきたので、
祭りに絡めていくんだろうと思ったら結局完無視。

そのほかにもなんか肝心になりそうなシーンを全面的に観客に委ねていて、
まるで全編通して「4コマ漫画の最後のシーン当ててみ?」
と言われている気分でした。

ここまで想像をかきたてられたのに、
してやられたというか、
坂本さんも資料に「どうでもいいです」と書かれていたので、
キャストの皆さんに何となく一方的にいなされてる感じがしています。

最後に、してやられた、のが、
浴衣の女の子が三拍子スクワット(正式な名前知らない)
を息を切らしながら必死こいてやっているシーン、
興奮しました。性的に。

でも、がっかりアバター童貞だった僕がつらつら書いた
それらががっかりアバターのスタイルなんだといわれたのなら、
納得です、とむりやり溜飲を下げるフリをすることにします。

無名劇団 太田
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by spacedrama | 2015-06-23 20:27 | s×d2015 | Comments(0)
6月14日(日)

《space×drama2015》
がっかりアバター「この町で、僕はバスを降りた」観劇。
http://www.gakkariavater.com/

【感想】
突き抜けた感触を得る。
走り続けて辿り着いた場所。
だが安寧の地点ではなく更なる地獄へ突き進む座標点!

さて、
千秋楽も終え、この公演を振り返ろうかと思う。
1度目の通し稽古を観て、僕は稽古場に都合3回足を運んだ。
何故かは、好き・・・と、会社の帰り道に稽古場があった事が要因だろう。
で、今回の稽古場はかなり面白かったのが印象深いと感じている。
ただその面白い・・・というのが、
いつもと理由が違う。




・・・・こんなに作品を生み出すのに苦労している彼らの姿を見るのが初めてだからだ。
僕はレアな現場に立ち会ったと興奮した。
ぞわぞわした。
いやもしかしたら僕が知らないだけで、いつもこうだったのかも知れないのだが・・・
が、
今回何故か色んな歯車が噛み合わない事が続出しながらも、
それでもめっちゃ面白い!とも思う自分が居て、
複雑な気持ちで彼らを観ていた訳である。

整理しよう。
通し稽古を観た後に、アンディくんはいつも僕に意見を求める。
当たり前だ。
僕は幾つかのワードを口にするが、
今回に関して言えば言い知れない「沼」を感じた。
いつもは「楽しい地獄」であるのに、「沼」を感じたのだ。
そこはとてつもなく違和感のある場所だった。
そしてこの作品に対し、言葉を重ねた。

・タイトルにセンスを感じたのに、バスが出なかった。
・エログロがいつもより少ない。
・全体的にマイルドになったのは何故?
具体的にはこの三点に焦点をあてた言葉になった。

それでも通し稽古中にもアンディくんは面白がって、
シーンの途中で あれやってこれやって と注文を付けたりしながら、
作品の進化(悪乗り)を目の当たりにして、こちらの気持ちは盛り上がった。

だが公演本番を観て悪乗りをした部分がだいぶ削られているのに僕は驚いた。
悪乗り部分は稽古場に来ている人間へのサービスではあるのだが、
それが圧倒的に熱を孕んでいる、意味なく熱を孕んでいる(笑)場合が多い。
が、それが丸々なかったりするとビックリする。
(勿論、かなりシュッとするんですけどね)

でもそれを観たかったと日曜日観劇時にアンディくんに伝えたのだが、
もしかしたらその辺りは月曜日千秋楽には復活していたかもしれないし、してないかも知れない。
ただ確かなのは、
それらを削ってまで昇華しようとした目論見は何だったのかである。

アンディくんは稽古場でこう言ったのが印象深かった。
「この作品は誰よりも板に乗っている役者自身が楽しんで下さい」
その後に続く言葉はうろ覚えだが、
「それでこの作品は完成する」
といった内容だったように思う。

ぐるぐると色んな言葉が頭を廻る。

はっきり言う。
面白かった。
面白かったが「啓蒙の果て、」には届かなかった。
それでも、この作品が初めてなどの、「がっかりアバター・ビギナー」さんであるなら、
こんなに面白い作品はなかなかにないのだと感じる。

でも僕は、がっかりアバターにボコボコにいかれていた男である。
だから前記のような言葉になるのだ。


・・・・と、ここまで書き進めながら、
それすらも前フリ・・・のような作品をまた出してくるな・・・とも考えられる。

前々回の炎上騒ぎからの、
「お洒落な炎上」 という作品のスプリット。

ますます目が離せない集合体、がっかりアバター!
これからも追い続けようと思う。
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by spacedrama | 2015-06-22 10:10 | s×d2015 | Comments(0)
僕にはよくわからなかたんですよね。

作家・演出家の坂本さんもこのブログに自身も書かれているように「演劇の可能性の広さって、虚実綯い交ぜ、面白いも面白くないも受手次第。千差万別いる観客全員の期待に応えることってまず不可能」で、「演劇ってものの厄介で面白いところは、受け取り方の可能性が無限大にあるところにある」。
うん、そうですね。
「僕は劇評家ではないですし、演劇以外の事全てに精通しているわけではないですし、その上で、作品を批評するなんて大それた事、やっぱりできないと思ったのです。」
僕もそうです。
このブログに僕はここまでに4つ投稿しましたが、批評するつもりはなくて感想です。

僕はがっかりアバターはよくわからなかったです。
もちろん、面白いと思ってリピートして観たお客さんもいるでしょうし、気に入らんかった人もいるでしょうね。
そういう作品でいいんじゃないかなと思いました。



終わってから何が自分の中でなにがわからなかったのかってやっぱり考えました。
観た人の感想を検索して読んでみたり、話したりしてみたけど、わかりません。

色々考えて一つ思い当たったのはカーテンコールでお客さんに対しての感謝より「残りの公演の集客が少ないからグッズを二つ以上買ったら招待券を渡しますのでもう一回観に来てください」ってことを先に言ってたように思えて、それがひっかかっている。いや、僕が聞き逃したり、忘れているだけかもしれないけど、そのことしか残らないカーテンコールという印象で、本当にわからなくなった。
なんだか嫌だね。こんな作品と関係ないことをグジグジと書くのは。


こんなことを書くべきか逡巡し、ここまで書いたり消したりしました。
ここまで色々思わされるのはそれはそれですごいことだなぁと思う。
何も思わず面白くなかい作品もある。
こんだけでも心を動かされ続けることはそうないですよ。

いい年になった僕には、わからないもっともっともっと尖ったモノをつくって欲しい。
公演をするっていう情報を得るだけで血を吐くような。
そんな可能性がある劇団はそうそう出てこないから。
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by spacedrama | 2015-06-22 03:53 | s×d2015 | Comments(0)

『楽園』(若旦那家康)

スぺドラで競う劇団についてはなるべく観たその日に感想を書いていましたが、南河内万歳一座とがっかりアバターは遅くなりました。
「感想も今さらかな」とも思いますが、場を与えられているのならやっぱり書きたいですね。

南河内万歳一座にはめちゃめちゃ熱心なお客さんではなかったですが、僕自身が演劇をはじめる前から見ていましたし、学生劇団時代は内藤さんの戯曲をお借りして公演をうったりしていたので、思い入れがやはりあるのだと自覚しました。

僕が知っているいくつかの作品といい意味で何も変わっていない、芯が通っていて一度観ていてもよくわかんないのだけど、「自分を見つけれない若者の焦燥感」「自分の経験ではないはずなのに感じるノスタルジー」みたいなものがずっと若者をこじらせている僕には胸にきました。

ベテラン俳優の圧にクラクラしながら、若手俳優のもどかしさにやきもきしながら、居酒屋の真ん中にいました。
そういう年齢なんですね、僕は。

自分を見つめなおしました。
ありがとうございました。


ちょうど、東京公演が終わったであろう時期にこれを書きました。
大阪東京お疲れ様でした。
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by spacedrama | 2015-06-22 03:21 | s×d2015 | Comments(0)
 舞台が回るということだったり、舞台左右のやたら大きな高台の上に人がいたり、天井からカニが降りてきたり、やたらキラキラした照明効果だったり、いきなり音楽がかかって人が歌って踊るシーンだったり、そういう舞台の要素がどれも突飛な印象で毎回びっくりさせられるのですが、そのどの要素についても「この作品には絶対にこれが必要なんだ!」という必然性が感じられて、そのどれもが全力投球で、観ながらとても清々しい気持ちがしました。そのそれぞれの要素の使われ方が優れていたかどうかは僕には判断がつきませんが、「とにかく舞台を回したいんだ!」「天井からカニが降りてきてほしいんだ!」という作り手のすごく純粋で衝動的な欲求が感じられて、いっしょにそれを面白がって実行しようとする役者さん・スタッフさんの大量のエネルギーが舞台に乗っていて、それが気持ちよかったんだろうと思います。
 また、公演パンフレットに配役や役名といっしょにそれぞれの登場人物の「失われると分かっているもの」が書かれているのですが、僕はこの芝居を観ながら、チームがひとつになって相当なエネルギー量を費やして作り上げたであろうこの芝居が、千秋楽が終わったら全部失われてしまうことを考えました。
 とても清々しくて刹那的な芝居でした。
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by spacedrama | 2015-06-22 00:33 | s×d2015 | Comments(0)
 努力クラブの九鬼そねみです。がっかりアバターさん『この町で、僕はバスを降りた』観劇させていただきました。

 がっかりアバターさんを拝見するのは初めてで、とにかく下ネタが多いという前情報があり、それなりに覚悟をして臨みましたが、今回に関しては少なかったですね。主人公の母親の脳みそを主人公の友人のようかいが啜っているというシーンから始まり、このエピソードが主人公とようかいにとって一番悲劇的なシーンなんだろうな、と思いながら観始めます。起承転結の転が物語の最初に差し込まれ、転→起→承→…と続いていくところは、アバンタイトルという感じがしたので、それがアニメ的だと評される理由のひとつでしょうか。
 アバンで示されたエピソードからいろんなことを予想していきます。周りに馴染めていないであろう主人公と謎のようかいとの邂逅、ゆっくりと理解を深めあう二人、主人公の愛する家族とその母親、そしてアバンの事件。一緒にはいられない種族なんだということがその事件が起こってやっとわかるのでしょう。母親の脳みそは二度と元に戻らないでしょうし、主人公は母親を壊してしまったようかいへの怒りに苛まれつつも、本能のままに脳みそを啜ってしまったようかいのことを考え、人間社会からドロップアウト、二人で暮らせる場所を求めて彷徨う…。
 でも思ったより登場人物の皆が皆狂っていて、特にお母さんがもともと頭のおかしい人だったので、こんなんだったら脳みそ啜られても構わないじゃない、なんなら啜られてからのほうがマトモに機能してるじゃない、という印象でした。どんどん裏切っていってほしいので、アバンからの予想が裏切られたこと自体はいい気分でしたが、アバンの衝撃を削いでしまうのはもったいないような気もしました。

もっとパワー系の芝居を想像していたがゆえに、予想のつくことはいいんだよ、と言わんばかりに、すっとぼけ、至極ローにたしなめていく、会話の応酬に好感を覚えました。
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by spacedrama | 2015-06-22 00:00 | s×d2015 | Comments(0)
よく描けている。
過去作品と比べても完成度は最高レベルと言える。
年齢に応じた客演を呼び入れ、役者の年齢層に幅を持たせることだけでも、観客が違和感なく作品世界に入り込む手助けとなっている。
舞台を幾つかの場所に区分けして、暗転を使わず短い場面を次々に切り換えて進行するコラージュ&ザッピングで構成し、テンポや流れより一つの場面を確実に作ることを重視、過度のサービスシーンを加味するあまり、逆に観客を突き放した印象を与え、体感時間も前半はかなり長い。
だが悪い感じがしないのは、それぞれの場面をしっかり作り込んだからであろう。
過去作品にも共通するが、頻繁に登場する題材に、父親のDVと近親相姦が本作でも扱われ、同じく頭が足りなくて偏執狂の母親、不幸な家庭、プラトニックな恋愛の末に告白、鍋料理、蟹、コンセプトとして動物やモンスター・神仏霊魂は誰からも普通に見える存在であり会話も可能、敵対する者として破壊者が存在、しつこいまでの下品な下ネタ、それらを小中学生の視点で見据える構造と悲劇的な展開の末にようやく見い出す蜘蛛の糸ほどの救い、ほとんどの作品で共通するモチーフに以上のモノが見受けられ、その割に似たような設定では使用されず、使い回した感はほとんどない。
毎回新たに浮かぶ題材が、常に同じになるのだろう。
これらが示す作品の裏側に隠された本質的なテーマが、毎回見えそうで見えない。
意図的に見せないのか、よほど深くて見えないか、全く意図してないのか、作者自身も意識してないように思われる。
前作『啓蒙の最果て、』で自身の演劇観や表現法と向き合い、現実と虚構、或いは実在と演劇、或いは観客と俳優、或いは実世界と舞台、それら全てをメタフィクションさせ、自らの演劇作品を紐解いた時、答えはタイトルにあると思った。
タイトルは『啓蒙の最果て』ではなく『啓蒙の最果て、』と、句点(、)が在り、読点(。)ではなく句点(、)であることが答えを示していた。
。(終わり)ではなく、、(途中)なのだ。
最果ての更に奥まで行かないと、答えは見つからないことをタイトルが暗喩していた。
演劇或いは表現を続けるしか、答えを見出だす方法はないのだ。
だから無意識にタイトルに句点を付けたのだね、とアンディに諭すと、そうか!だから『あくまのとなり。』は丸(。)だったんだ!!と、自作品を再発見するのだった。
前作を踏まえての今作なら、対峙関係にあるものの存在とメタファーは必定で、舞台両脇に同じ高さで設えた高台は、上手に創造主たる神が居て、下手には同等の力を持つ存在の破壊者として、ようかいハンター(=DJ)が居座る。
舞台中央には創造の場として地球が回り、その頭上には創造を破壊するため地球へと落ちてくる星が対峙する。
本作を紐解くなら、この危ういバランスの上に成り立つ対峙関係が重要だ。
毎回のことであるが、登場人物は全てアンディ自身であり、それぞれのレベルで何かしらのメタファーである。
自分自身と対峙するものは自分以外の他人全部、舞台では全ての観客と向き合うことになる。
解説をし始めるとキリがないので止めておくが、本作のテーマは初めからパンフレットに書かれている。
自分と対峙する全ての観客に対し、もう誰にも伝わらなくて構わないし、この作品が何だって良い、理解しても解らなくても良いから、どんな辛いことや苦しいことがあっても、それでも生きよう、楽しくやろうって、びっくり全部書いてあるのだ!
悲しいことや心傷めることは、自分ならこんな風に歌ったり踊ったりすると、手本を舞台に提示する。
だが手本がお手本に成りきれず、見本レベルで提示される。
伝わらなくて良い、解らなくて構わないとの立場から構築して行くので、見本以上の完成度が適わず、観客にも誤解されることになる。
見本であるが故に観客の観念で判断されるので、作品に対する否定を提唱されてしまう。
単なるサンプルなのに噛み付かれ、サンプルを通じて伝えたかった真意に辿り着いて貰えない。
やはりここは、見本ではなくお手本をしっかりと観客に示すべきなのだ。
反省すべきはこの点であろう。
あらゆる芸術は観察者なくしては成り立たない。
演劇に於いても観客は演劇の三要素に数えられる。
忘れてはならないのは観客が演劇に果たす役割で、ただ単にそこに居合わせるだけでは観客とは言えず、少なくとも作品を鑑賞する意志が必要で、観客の笑いや悲しみ、作品から受けるあらゆる感情、マナーや態度まで、直接的に俳優に伝わる交流共感に影響され俳優の出来不出来が決まることもある。
俳優と観客は根元的に一体なのだ。
それ故に本作では観客と対峙したのだから、本当は伝わらなくて構わない筈がない。
伝えてなんぼの芝居である。
もちろんそうでない芝居もあるが、少なくとも本作は伝える芝居である。
それでも解らない、気づけない観客が居るので、そのようにパンフレットに書くしかないのだ。
しかもこのジレンマは、尽きることがない。

自分の神様は非力で頼りないが、ちょっとした表現くらいは創造できて、創造した作品を発表しても観客には解らないと言われ、否定的な意見で自分自身が破壊されそうになる。
それでも良いから、否定も破壊もどんな事も、自分が楽しめるやり方でやれば良いと言う22歳の青年の主張は、毎回とても痛々しい。

さて対峙関係に話は戻る。
神様(創造)とようかいハンター(破壊)を結ぶ対峙関係をx軸(横軸)に、地球(創造)と堕ちてくる星(破壊)を結ぶ線をy軸(縦軸)に、そして更にもう一本、舞台(創造)と観客(破壊)を結ぶ対峙関係は奥行きに相当するz軸に見立てられ、逆ベクトルから現れた三方向の対峙関係により劇場空間を構築する。
拡大解釈するなら、我々の在る三次元宇宙が構成される。
なるほどこの世は棲みにくい、せめて楽しんで生きたいものだ。
4年間、自分がやって来た舞台表現を総ざらいし、更に整理集約して出来た作品は、見事にこれまでの集大成となった。

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by spacedrama | 2015-06-19 16:36 | s×d2015 | Comments(0)

がっかりアバター感想

  笑の内閣の高間です

 私は食通が嫌いだ。そりゃ、私だってうまい飯は好きだ。ご当地の名物を食べに旅行に行く事もある。色んなものを食ってみたい欲も強く、うさぎ、カエル、ワニ、ダチョウ、カンガルー、コオロギ色々食ったし韓国では犬も食った。しかしだ、××の○○がどうだこうだ、××以外は食えたもんじゃねえとか言う奴はなんやねんと思う。「美味しんぼ」なんて最高に狂ったマンガじゃないか。鼻血騒動の前から雁屋は狂った親父である。海原雄山なんか刊を追うごとに人格者ぽく書かれてるが、あんなん初期の頃から代わらずクズだろ。なにを出されても美味い美味いと食う方が幸せである。

 で、芝居になるけども、まあ私は別に芝居そのものが好きじゃなく、自分の芝居は好きだけども他人の芝居は好きじゃない。他人の芝居でも面白いものもあるが、野球や競馬の方が面白い確率が高いので8割くらいの芝居は客席にいても苦痛でしかないのだけども、それは別に威張る事ではない。私には世の中の8割くらいの芝居を面白いと思う感性が不足しているだけだ。

 ところが、どうも世の中には、「あまり上出来とは言えない作品に笑う客は未熟」「面白いを連発するより、滅多に面白いと言わない方がかっこいい」という風潮がありますね。まあ、確かに8割くらいの作品を面白いと書く石田1967なんかは馬鹿にしか見えないというか実際馬鹿だけども、しかし人生を得しているのはどちらなんだとも思う訳です。2割くらいしか面白いと言わない(感じない)私がこれいうのもあれですが。

 とはいえ、面白いと思えんかったもんは思えんかったんだからしょうがないわけですが、しかし思えんかったのを面白いと言ってる人がいる。それはちゃんと分析しなきゃならないわけですね。例えばうちの鈴子、合田は今回面白く感じなかったわけだが、さすが頭が良い、今までうちを何回も見ているという有利さはあるものの、なぜ他人は受けて、自分は笑えなかったかの分析が鋭い。そして、すっ太郎。僕はすっ太郎のことが大好きなので標的にするけども、あいつは不可だね、あいつのうちの芝居を書く目的への考察は正しいのだけども、なぜ自分が楽しめなかったが、世間では評価されてる(いや、動員4桁行ってないし、受賞歴もほとんどないんだから評価されてないでいいんけど)のかへの考察がなく、他の客が甘いからみたいな頓珍漢な考察しか出来ていない。まあ、そこは長くなるから書かんけど教養の問題なのだがね

 で、長過ぎる前置きだががっかりアバターである。私は何回か見てるが、全然面白いと思わないのである。例えば下ネタが多いと言われてるけど、あれは下ネタじゃなくで下だしね。下ネタというのは下なことをいうことではなく、下を馬鹿馬鹿しくすることで性欲ではないから、なんかアンディはセックスする時もマグロなんじゃないかと思う作風である。で、ここが問題だが、作家が才能がないならもう見に行かないですむ話なのだけども、初見の段階で面白いと思わなかったのに、なぜか「この作家は才能がある」「この作家はもの凄く面白い本を書ける能力がある」とは思ったのです。そして、その後実際アンディと知り合って話してみると、すごく面白い奴なんだな。とてもインテリジェンスが高い。クロージングトークの後、私はアンディに「一緒にチェルノブイリに行かないか」と誘ったらすごい行きたがったのですね。これは重要です。チェルノブイリに行かないて誘って、行きたがらない奴は作家としてクソです、感性がなってない。それが彼はもの凄く行きたがったので、もの凄い奴だと思うのです。まあ、充電中に「まずは絶歌を読みたい」て言ってたのは評価しないけどね。そりゃ例え過去犯罪者だった人間でも刑期を終えてる以上、遺族の許可がなかろうが本を出すのは表現の自由だと思うが、単純に酒鬼薔薇なんてあの声明文読む限り文才ないでしょ。サイコパスとしても佐世保の姉ちゃんが出た今では格の違いが浮き彫りになったし、ありゃ読まなくてよい。

 で、今回の芝居を見て、とにかくひとつひとうのパーツの中で、すごいなあと思うパーツはたくさんあるんだけども、やっぱりじゃあなんなんだと思う訳です。アンディの心の叫びであれば散らかっててもいいんだけど、心の叫びではないだろうし。別に性的虐待とか本人の切実な問題じゃないでしょ、切実じゃないと書いちゃいけないとかじゃなくて、私は別に性的虐待というものを性的虐待されたお客さんが客席にいて傷つけるくらいの興味本位なエンタメ的扱いをしてても全然良いと思うのだけども、そこまで行っているわけではない。世の中には、他人が重く見てることが当人には別に軽いってこともよくあって、性的虐待をそう扱ってるのならもの凄く恐ろしくて素晴らしいなと思うのだけど、それはすごい技術がいて無意味に重いてお客さんが勝手に意味付けしちゃうとかあって実際より芝居の方がしづらいのがあるではないですか。うちも今回、片親設定のキャラが居て、実際別に片親だからって苦労も寂しさもない奴はいっぱいいてそういう方に演出したのに、お客さんはそう受け取らずに軽いて言われたし。

 結局なんかアンディの持ってる能力を100%引き出せてない感が毎回するのね。手をぬいてるという意味ではないのだが、客に親切すぎるってのはちょっと違うのだが、彼の表現において芝居て手段が一番適切なのかも含めてわしは物足りないのである。

 で、ようやく前段に戻って、アバターを面白いていう人、評価してる人を、いかに馬鹿にせずに何故なのか考察しなければならないのですね。それがアンディの才覚だというなら、私と全く一緒の評価点なのだけども、でも現時点で客席では笑ってるしな。もっと素直に見ればよいのかな。もっと若ければ良いのかな。わしが理屈っぽすぎるのかな(どうもうちの論理的思考が苦手な人が楽しんでる傾向も見て取れる)とかあるけど、まだ現状アンディと話してる方が楽しいですねえ。トークショーより芝居が見たいと思えるようになるのを期待
 
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by spacedrama | 2015-06-18 01:45 | s×d2015 | Comments(0)
無名劇団の中谷です。
がっかりアバターさんの「この町で、僕はバスを降りた」14日日曜日19時の回を観劇させていただきました。

お盆がまわる舞台装置や、音楽の使い方、「場転が間に合っていないので~」とDJ役の方を上手く使って場転する演出は面白かったのですが、内容にはついていけませんでした。
話がブツギレで、登場人物に感情移入する前に、次のシーンに移ってしまうため、誰にも共感できず、おいてけぼりをくらわされたまま話が終わってしまいました。
アニメのパロディや下ネタ満載で、しかも役者さんが皆、体を張ってらっしゃるので、芸人さんの単発ギャグ100連発みたいなのを見ているような感覚でした。
また、暗い話をあえて明るくやるというのは良いなと思ったのですが、あまりにもアニメ的でリアリティがないようにも感じました。
ただ、勢いはあったし体当たりでやられていたし、そういう全力感や突き抜け感は私も見習いたいと思いました。

最後になりますが、この度、この感想ブログを5劇団とも書かせていただき、たくさん勉強させていただきました。少し視野が広がったように思います。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
2015年度のスペドラは終わってしまいましたが、ここからがまた新しいスタートライン。新たな航海へと旅立ちます。
勝って兜の緒を締めよ。
賞に恥じぬよう、より一層気を引き締め、切磋琢磨し、でも力みすぎず、新座長の島原を筆頭に劇団員一同、力をあわせて、自分たちの表現を追求してまいりたいと存じます。
今後とも無名劇団をどうぞよろしくお願い申し上げます。

無名劇団 中谷有希
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by spacedrama | 2015-06-17 20:42 | s×d2015 | Comments(0)