読むと疲れますよ。お芝居(「しまうまの毛」)は楽しいです。
2008年 07月 04日
劇評ということなんですが、これから5つあって、そのひとつめです。
なんて書き出し(実際はキーボートを打ち出しました)は、大丈夫でしょうか?不安です。
というか本当にどういった形で、進めていけばよいのか本当に、これはいいのかわからないのですが、つまりでも打ちたいことは山のようにあるように感じていて、それでも不安ばっかりが先行していて、もうこの辺で読むのを皆さん、やめてませんか?
という感じで、本題逃れならいくらでも続いてしまうので、好い加減で、突劇金魚の「しまうまの毛」という作品についてなんか文章をつくっていきたいと思います。
ところで、このブログのニーズはいったいどういったところにあるのでしょうか?関係者?まあいいや。僕が重要視したいのは、特に今演劇をやってるわけじゃないお客さんで、「お芝居観たけどなんかノレなかったー」「わからんかったー」「よくわからなかったー」「面白そうなのに楽しめなかったー」みたいな、全然よい例えが出ない自分に愕然としましたが、
なんだか退屈を感じてしまったお客さんがいたら、その方とコミュニケーションが取りたくて、その辺りをねらっていこうと思います。
もうここまでで読むのが疲れてしまった場合には、数日にわけて読んでください。
「しまうまの毛」面白かったし楽しかったし、でもなんか上手く言葉に、感動を表現できなくて、でもやっぱりちゃんとこの気持ちを説明できるようになりたい!という素敵な方は、ブログに載ってるヒト様の言葉は借りる必要はなくて、そうして生まれた心のほわほわ(もやもや?)をぜひ大事にして頂きたいし、誰かにその思いをぶつけてあげてください。まだ公演は残っているので宣伝にもなるはず。次回公演も決まってます。
そう、僕が今まさに言えることは、「観て」ってことです。
さて。置いておきましょう。
まず、どんなストーリーかってことは重要じゃないんですよね。だからセリフは聞かんでも良いのじゃないか、みたいなことすら思います。
でもサリngの生み出すセリフは魅力的です。単純に面白い。だから理解しようとか考える必要はなくて、なんなら、言ってること可笑しい、というのが正しい受け取り方かもしれません。
でも魅力的なセリフは聴いてしまうし理解しようとしてしまう。
ここが難しい。
具体的なものはハッキリいって何もないのです。この舞台。
だから、わかろうとかすると矛盾だナンだと納得いかないことも出てきたりするんじゃないですか?「あ、」すら「あ、うん、えっと、、」というセリフすら、びっしりの質量でこちら観客側に飛んできます。それって、いわゆるリアルじゃないと思われます。つまり全部がたぶんそうなのです。設定も展開も人物も、巧みに矛盾をはらんだデフォルメがなされてる。えっと、単純にゆーと、すべてが大げさにつくられている、気がします。
それは例えてマンガ的とかいうと、何かと怒られそうですが、でもね、生身の人間が目の前でちゃんと、僕らと近しい感情にまつわる記憶をつかって、つくりだして、届けようとしてくれているので、その一点、役者が今まさに動かしている感情のみに嗅覚を働かせれば楽しいと思います。
弱点は、
セリフと、観客に届いてくる役者の感情とが、ときとして違ってみえることがある。それはサリngのセリフがいわゆる等身大ではなくて演劇的な言葉で、役者が普段つかっている言葉とは別物ゆえに、混ざり合わずにいるからだと思います。
そしてそれは、ちょっと恥ずかしいことです。演技って、人前で何かするのって、基本的に恥ずかしい。だから、うわーあの人、演じてるわー、って恥ずかしくなるのは、割と当然かもしれません。でも、作り物ですから。見世物ですから。そんなこといわずに、ちょいと日常から離れたところで、ちょっとした異世界に身を委ねるときっと思わぬ宝物をお持ち帰りしてるかもしれません。
ほらーーーちょっと恥ずかしい。
えっとー、私、コレクトエリットのべかおと申します。
あと4つ、観るのは楽しみです。
なんて書き出し(実際はキーボートを打ち出しました)は、大丈夫でしょうか?不安です。
というか本当にどういった形で、進めていけばよいのか本当に、これはいいのかわからないのですが、つまりでも打ちたいことは山のようにあるように感じていて、それでも不安ばっかりが先行していて、もうこの辺で読むのを皆さん、やめてませんか?
という感じで、本題逃れならいくらでも続いてしまうので、好い加減で、突劇金魚の「しまうまの毛」という作品についてなんか文章をつくっていきたいと思います。
ところで、このブログのニーズはいったいどういったところにあるのでしょうか?関係者?まあいいや。僕が重要視したいのは、特に今演劇をやってるわけじゃないお客さんで、「お芝居観たけどなんかノレなかったー」「わからんかったー」「よくわからなかったー」「面白そうなのに楽しめなかったー」みたいな、全然よい例えが出ない自分に愕然としましたが、
なんだか退屈を感じてしまったお客さんがいたら、その方とコミュニケーションが取りたくて、その辺りをねらっていこうと思います。
もうここまでで読むのが疲れてしまった場合には、数日にわけて読んでください。
「しまうまの毛」面白かったし楽しかったし、でもなんか上手く言葉に、感動を表現できなくて、でもやっぱりちゃんとこの気持ちを説明できるようになりたい!という素敵な方は、ブログに載ってるヒト様の言葉は借りる必要はなくて、そうして生まれた心のほわほわ(もやもや?)をぜひ大事にして頂きたいし、誰かにその思いをぶつけてあげてください。まだ公演は残っているので宣伝にもなるはず。次回公演も決まってます。
そう、僕が今まさに言えることは、「観て」ってことです。
さて。置いておきましょう。
まず、どんなストーリーかってことは重要じゃないんですよね。だからセリフは聞かんでも良いのじゃないか、みたいなことすら思います。
でもサリngの生み出すセリフは魅力的です。単純に面白い。だから理解しようとか考える必要はなくて、なんなら、言ってること可笑しい、というのが正しい受け取り方かもしれません。
でも魅力的なセリフは聴いてしまうし理解しようとしてしまう。
ここが難しい。
具体的なものはハッキリいって何もないのです。この舞台。
だから、わかろうとかすると矛盾だナンだと納得いかないことも出てきたりするんじゃないですか?「あ、」すら「あ、うん、えっと、、」というセリフすら、びっしりの質量でこちら観客側に飛んできます。それって、いわゆるリアルじゃないと思われます。つまり全部がたぶんそうなのです。設定も展開も人物も、巧みに矛盾をはらんだデフォルメがなされてる。えっと、単純にゆーと、すべてが大げさにつくられている、気がします。
それは例えてマンガ的とかいうと、何かと怒られそうですが、でもね、生身の人間が目の前でちゃんと、僕らと近しい感情にまつわる記憶をつかって、つくりだして、届けようとしてくれているので、その一点、役者が今まさに動かしている感情のみに嗅覚を働かせれば楽しいと思います。
弱点は、
セリフと、観客に届いてくる役者の感情とが、ときとして違ってみえることがある。それはサリngのセリフがいわゆる等身大ではなくて演劇的な言葉で、役者が普段つかっている言葉とは別物ゆえに、混ざり合わずにいるからだと思います。
そしてそれは、ちょっと恥ずかしいことです。演技って、人前で何かするのって、基本的に恥ずかしい。だから、うわーあの人、演じてるわー、って恥ずかしくなるのは、割と当然かもしれません。でも、作り物ですから。見世物ですから。そんなこといわずに、ちょいと日常から離れたところで、ちょっとした異世界に身を委ねるときっと思わぬ宝物をお持ち帰りしてるかもしれません。
ほらーーーちょっと恥ずかしい。
えっとー、私、コレクトエリットのべかおと申します。
あと4つ、観るのは楽しみです。
by spacedrama
| 2008-07-04 14:24
| s×d2008