無名劇団『無名稿機械』(遊劇舞台二月病 中川 真一)
2016年 06月 17日
とても素晴らしい構成と率直な台詞はとてもバランスが良かった。
役者と演出の意識の統一感も素晴らしかった。
しかし、その両者の歯車は少し食い違っていたように思う。
これが、「バグになれ」と言う事なのだろうか。
僕の好みの問題だろうが、美しい見栄えの為の段取りに追われて、台詞が役者に馴染んでいない部分も見られたように思う。
これは皮産業を取り扱うという事に僕が敏感になり過ぎていた為であり、僕の落ち度であると思います。
本当に敏感になり過ぎた。申し訳ありません。
そのせいで本来なら気にしない所が目についてしまったのだが、とても良い芝居であったのは変わりがない。
とても美しい構図だったし、演者は物語を十分に体現していた。曼荼羅の美術も美しかったし、靴へのアプローチも感銘を受けた。
物語の終わりは冒頭に既に存在している。
たしかフランクハウザー氏が言っていた。それは僕も大事にしている。
冒頭の、靴磨きへのチップを盗んでしまった事が、主人公の歯車の居場所を決めてしまった構造が素晴らしい。
はした金だが大事な金である。その金をないがしろに扱ってしまっかが故に、後に自分達が稼いだ金もないがしろに失われていく。小さな歯車が取り返しのつかない未来を決定してしまう。
狂言廻しの役割を担う靴磨きが、その領分を超えて物語の心情に影響を与えてしまう。その底なしの善意からくる小さな罪が彼自身の幕を引いてしまう。狂言廻しを失った物語は崩壊への道を歩む。まさに機械仕掛けの神である。
機械仕掛けの神はたった一人の登場人物の死を生み出すが、それもこれから起こる大きな崩壊への歯車である。ミニマリズムなのかも知れない。
まさに見事である。
語弊が生まれる言葉をつかいます。
劇中での皮産業の取り扱いは穢れであった。
本来、この穢れは六芒星の結界により出入りはしない。つまりは結界内の地区に淀むものである。
しかし、靴工場の師匠は結界内に産業廃液という新たな穢れと扇動的な流行ニーズを招き入れてしまった。
それらは地区に淀んでいた穢れと混ざり合い、巻き上げてしまう。
結果、多くの悲劇を巻き起こす事になる5時46分へと帰結するのだか、まさかの1.17阪神淡路大震災である。
僕は、狭い地区に穢れと共に押し込められた彼らに申し訳なさを持っている。社会全体で共有すべきだと思うので、大きな崩壊への歯車が動き出した時に、少しばかりの爽快感と高揚感を持ってしまった。思い返すと自己嫌悪が噴出する。自分が醜く、情けなくて仕方がない。
その上での阪神淡路大震災である。
「そんな大きな天災までも僕たちの仕業にするのか」
と、思うと僕の内から沸き起こるのは押さえ切れない怒りと哀しさである。
目に映る舞台が美しい程に、虐げられ抑え付けられた彼らが不憫で仕方がない。醜い僕らの苦しい生き方は誰の目にも映らない。
これらはお芝居が良かったからこそ考えられる事であり、とても良い機会を得られた事を感謝しております。
遊劇舞台二月病
中川 しん
by spacedrama
| 2016-06-17 00:31
| 無名劇団感想