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space×drama2016の感想を様々な視点で載せていきます 。300文字以上の感想を各劇団が書いていきます。皆様もコメント欄に是非お書き下さい!


by spacedrama
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遊劇舞台二月病『LEFT~榛名ベース到れる~』感想 CQ/ツカモトオサム

舞台監督CQ/ツカモトオサムです。
s×dの2本目は二月病が連合赤軍を描く。
実名で実在の人物を登場させ、現実に起きた事件を舞台で描くのは本当に難しい。
一連の全共闘の争いの研究者は非常に多く、連合赤軍に関する文献も数え切れないほど存在し、これを題材にした映像作品や舞台作品も相当数発表されている。
新たに同テーマの作品を創る時、先駆者の残した膨大な量の資料が足枷となり、資料を調べるだけで時間がどんどん費やされる。
資料が多いのは幸いだが、過ぎたるは及ばざるが如しで、膨大な資料の中に紛れた本当に知りたい情報を探し出す苦労は並大抵ではない。
加えて当人または関係者や家族が存命なら、悪戯に誰かを傷付けないように細部にまで配慮が必要となる。
60年安保から70年安保へと、延々と連なる一連の騒動の一部分だけを描きたくても、事件のあらましを知らぬ観劇者に背景となる歴史の説明は不可欠で、私より年配の方ならば記憶に残る凄惨で衝撃的な一連の事件をある程度記憶しているので歴史の反芻がもどかしく感じてしまう。
実話の舞台化は本当に難しい。
さて、本作は二月病がどんな集団であるかを表す上で、意図せず最も二月病らしい作品となった。
この作品の演出の要は、この舞台の中央奥に据えられた人型の使い方に尽きる。
偶然か意図してか、ご本尊の阿弥陀如来と背中合わせに設えた、如何にも標的と言わんばかりに吊るされて力無く辛うじて生きている人の形をした贄。
閉ざされた劇空間の中、演技者に代わり総括の名を借りた人の悪しき暴力の全てを、総括の名の下に行われた常軌を逸した組織の不条理を、平等で幸福な理想の社会を夢見ながら理不尽にも同志に殺される無念を、一身に受け止める孤高の存在で、モノ言わぬ代弁者を舞台の中心に据える。
この演出を思い付いた時点で、演出の8割が完成したと言える。
当初のプランでは、人型が受けた暴力が、円形に配された装置に縛られた演技者に跳ね返り、その痛みは更に外周円で傍観する観劇者に伝わる構造であった筈だ。
だが彼らは本当に優しくて、他人の痛みを自身の痛みとして感じ始める、居たたまれないほどに。
真剣に取り組めば取り組むほど、組織の理不尽に悩み、暴力に脅え、稽古が進めば進むほど、暴力に対する嫌悪は進む。
暴力を憎悪し、暴力を描く表現の代弁者として仮定した筈の人型に対する暴力すら許せなくなり、ついには暴力の表現に暴力を用いず、暴力を非暴力で描くことがギリギリの選択となって行く。
実際に誰も傷つけないための演出プランが、演出車自身を傷つけてしまう。
暴力を用いずに演出したい。
その願いは演技者にも染み渡り、共通意識として劇空間を包容する。
自己矛盾を孕んだ演出プランは、どこまでも痛々しく、限りなく優しい。
図らずも二月病の方向性と精神性が強く窺える代表作の一つとなった。
by spacedrama | 2016-06-11 04:15 | 遊劇舞台二月病感想