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space×drama2016の感想を様々な視点で載せていきます 。300文字以上の感想を各劇団が書いていきます。皆様もコメント欄に是非お書き下さい!


by spacedrama
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劇団冷凍うさぎvol.9『ペチカとエトランジェ』感想(baghdad café 泉)

5/27(金)19:30の回を観劇。

寒く貧しい無国籍(多国籍?)な村を舞台に、その村を訪れた記者が不条理な村人に巻き込まれていく様をロードムービー的に描いた物語。

記者の男は、冒頭、舞台の外からやってきて、客入れからずっと舞台上に居たバカチン様と崇拝される浮浪者の前で倒れる。厳しい上司の命令で、妻と離れ、村の酋長に会いに来たその男は排他的な村人たちからコートや財布を奪われ、人をペットのように飼う職業見習いの女の子に拾われる。その後、男は酋長に会い、取材のため奔走するのだが、村独特の言葉やルール、村人の不条理な性格に翻弄され取材はなかなか進まない。紆余曲折を経ながらも、ようやく書き上げた原稿だったが、酋長の気まぐれで没になってしまう。やがて男は取材もせず、奇人の会といわれる怪しげな集会に参加するようになる。男の吸った煙草は期せずして地下炭鉱の放火につながってしまう。村が炎上する中、死者も出たその村の取材的価値はあがるのだが、その頃すでに男は疲れ果て、自分の任務を顧みず村から出てゆく。

文字通り、記者は舞台から降り劇場の外へ出て行き、ほぼ舞台上に居続けていたバカチン様も最期には舞台の奥へと消えていく。途中幾度か挿入されるバカチン様とガスマスクをつけた子供たちのやりとりがこの村(世界)の破滅を匂わせる。

勤労(仕事)と社会の摩擦、やがてくる破滅を寓話的に表した作品になっている。記者の男は何らかの責任を持って自分の任務を遂行しようとするのだが、非常に独特な世界観の村人たちに疲弊し、勤労意欲や生きがいが無くなり、仕事を放棄して去っていく。新たな仕事の不条理さに振り回され、疲弊していくその様は急速な時代の変化に巻き込まれつつ、閉鎖的な環境の中、無理難題と向き合わなくてはいけない現代人を見ているようでもあった。本作品は異文化に触れ翻弄されるという、一時のアングラ芝居によくあった舞台設定を現代的+ファンタジー要素を含め新たに立ち上がらせているように思えた。

この村がどこなのかは観客へ丁寧に説明されない。崇められる浮浪者、権力を持つ恐妻家の酋長と炭鉱の復活へのビラ配りに余念がないその妻、人を飼う女の子と飼われていた学者、記者の助手になりたいと買って出るチンピラのような男、勤労が行き過ぎる少年、場末の酒場の女、酋長と癒着し麻薬をスニッフィングする保安官、にやにやとふざけた役人、人の死に対しても無邪気な棺桶屋と獣人、頭が狂い始めている医者、別の村から来た惚れっぽすぎる高貴な女など、特殊すぎる(僕たち現代の日本人からはモラルが感じられないような)個性を持った人間たちの会話や行動でその人物や村、世界観を想像させる会話劇になっている。

人物の紹介だけ見ると、きな臭く、重く暗いイメージがあるが、活発でコミカルな見せ方のキャラクターが多く、衣装小道具美術の多国籍ファンタジー風の感じもあいまって、目に愉しく観ることができる。だが一方で、事件が起こって展開するというより会話の流れを切り取り紡ぐというようなロードムービー的手法や、舞台と各人の背景から生じるうすら寒い雰囲気により、冗長で乾いた空気が物語中ずっと流れている。

肉体表現を駆使した会話劇で、セリフのテンポが非常に早い。若い世代の人が何か自分の主張を押し通す際に、この速さの発話スタイルを見ることがある。躁状態のように言語情報をまくしたて、相手に口を挟む間を与えず、論の終着点までセリフを吐ききってしまい相手を論破するというやり方だ。本作品ではこの構造の手法がよく使われていた。

この手法は、登場人物の異常性と自分本位な感じをより際立たせる効果を上げていた。キャラクターたちは、自分の生き方に信念を持っているようにも、その生き方を固持するため他の意見から防御・他の意見を排除しているようにも見えた。能動的ディスコミュニケーションとでも言うような感じだ。僕は田舎の親戚や理不尽な対応をする会社や役所などにその感じを思い重ねた。

そういった村人たちの言葉を受けとめるのはいつも記者だ。彼は最初、その勢いに流されて受容してしまうが、後半になるにつれ、だんだんと言葉を受け流すようになっていく。相手の論旨を理解しつつ、表面上は肯定とも否定ともとれないような(やや肯定寄りの)セリフで返すこの返答の仕方は、論旨の理解はしているが受容はしていないとの主張でもある。

この表現が取材への熱意や、他人との関わりへの志向性が削がれていくさまに映り、まるで新入社員や新しいバイト君が怒られ続けてやる気を無くしていくかのような普遍性を感じた。人は過剰に口出しや情報を与えられると意欲がなくなる。

全体を通して独特なセリフ回しでもあった。ストレートではない、婉曲的なセリフで描かれている。そのセリフたちを句点で切らず、ややオフビートに発話する。この独特のセリフと発話方法は観客に息を吐かせず、会話体に集中させ、より深く想像させる効果はあった。その緩急や奥深さへの想像によって、一辺倒なセリフが立体的になる。独特の奇妙な浮遊ドライブ感もある。そういった意味でこの演技法は面白い。

またそのドライブの錬度は高かったように思う。この難解な手法で、役者はセリフとしてではなく、自分の言葉としてセリフを発話しているように見えた。これには修練が必要だ。冷凍うさぎの役者たちはこの技術を体得していた。

またこの手法は、静かで小さな一つのセリフや動きを立たせることもできる。長く難解な台詞を一息で速く発せられているとき、観客は耳を傾けることに集中し、緊張する。そしてそのセリフの終わりでようやく息を吐く。この瞬間、そっと投げられたシンプルな表現を観客は素直に受け止めざるを得ない。これは演劇的に非常に有効な手段だ。バカチン様の非常に緩慢な動き、記者のくたびれてとぼとぼ歩くさま、ぽつりと後ろ向きに言う小さなセリフがより印象深く残ったのはこの手法が起因している。

たが、本作品ではテンポの速さや独特のセリフの容易で無さ、またこの速さに対応できる滑舌の良さが無いことがあいまって、観客の情報処理能力を超えていたようにも思われた。観客はただでさえ速いテンポの中、劇から提示される少々難解でときに聞き取りづらい情報を常に処理しなければならなくなる。

過剰なテンポとセリフで構成された本作品は、最初観客をひきつけるのだが、個人的意見としては30~45分で疲れてしまう。早い観客だと2分でそっぽを向いてしまう可能性もあり、むしろストレスへと変わってしまう。そういった批評性を促す作品もあるが、本作品はそこに主眼を置いた作品では無いように思えた。

衣装や小道具、美術も統一感は無いが、無国籍=多国籍(やや北欧寄りか)という世界観を作り上げており、役者の演技も通常の発話より過剰な動きがあるため、その動きの面白さと伴って何とか観客をつなぎとめていた部分もあったかもしれないが、110分という長さを持続させるのはなかなか難しい。転換も見事に円形の移動と照明変化を利用していてロードムービー感を出しており、シーンのつなぎ目をクロスフェードさせることで、雰囲気を途切れなく続かせるのだが、逆にいうと息をつく間(暗転など)が少なく、観客は集中の持続を迫られ続けていたように感じた。会話内容が分からないと余計にしんどくなるだろう。

もちろん、そうは言いつつもこの表現手法が面白くないわけではない。むしろとても面白い手法だと感じた。速いBPMのフュージョンを聴いているような感覚を持った。観客への情報共有をいかにしていくかを工夫するだけで、この冷凍うさぎの手法はより光り輝く可能性を秘めている。年々感じるのだが、普段接触する若い世代になればなるほど言葉のスピードや反射(返答)が速くなっているように思う。彼、彼女らの身の回りの情報伝達スピードが上がっているのだからそれに感化されているのかもしれない。そういった世代は本作品を速いとも思っていないのかもしれないな、とも少し考えた。

暗喩についても考えた。率直にペチカはロシアのイメージ、エトランジェにはフランスのイメージ。そこで炭鉱とその爆発という事象が起こると、僕は原発事故を想起してしまう。村人への勤労への意欲は格差社会における発展途上国の児童労働を想起し、単純なところではバカチン様はバチカン市国のローマ教皇を想起させる。教皇をバカチンと呼び浮浪者扱いするなんてなかなかジョークが効いている。

このほかにも人身売買、悪政や癒着、銃社会、医者不足、インバウンド効果、宗教、いろいろな国際的トピックのイメージを膨らませることができた。セリフやモチーフにそういった仕掛けを大いにマッシュアップしていたようにも思える。

公演後にあれはこういう暗喩ではなかったのか、と意見を言い合うのが愉しい作品でもあるかもしれない。本作品はまずわれわれが現代住んでいる日本とは違う地域、しかもそれが日本で無い多国籍なファンタジーとしての場所で行われているということで、二重に暗喩されているようにも感じた。原発事故も児童労働を引き起こす貧困や格差社会も外国だけでなく、現代日本に通じる。全て日本で起こっている諸問題の暗喩につながっているかもしれない。グローバルな社会なので当たり前かもしれないが。バカチン様は見て見ぬ振りをして、何も具体的な手は尽くさない。神は世界中にいて、ただそこにいるだけだとでも言うように。

時代の空気によって多様に解釈できる本作品はそこまで意図されているのかどうか別として、能動的に見るのが面白い作品だと感じた。ただこのような見方は多少ひねくれた演劇好き(僕も含む)に好まれるやり方なので、開かれた観客の前では本作品は少々退屈に感じる可能性がある。感性に訴える表現も劇中に多々あるので一概には言えないが作風におけるその性質は強いように感じる。苦手な人は苦手だが、好きな人は好きという作品だろう。

カーテンコールで僕の見た回は終演後、拍手が起こらなかった。この作品であれば一つの正解だった気がする。最期に舞台から、バカチン様がやはり緩慢な動きでいなくなる。何も無い舞台だけが残り、ややあって客電がつく。ある意味突き放されたように現実に戻される。濃厚で強固だがうら寂しい世界観がなくなったのに、寂しい気持ちが残った。その寂寥とした空の舞台上に冷凍うさぎの伝えたいイメージがあるようにも思えた。


baghdad café
泉 寛介
by spacedrama | 2016-05-30 16:19 | 劇団冷凍うさぎ感想