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space×drama2016の感想を様々な視点で載せていきます 。300文字以上の感想を各劇団が書いていきます。皆様もコメント欄に是非お書き下さい!


by spacedrama
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these charming men―ピンク地底人「ある光」について

・もう随分前の話になるが、青山真治が「1枚のレコードのような映画を作りたい」という旨のことを話していた記憶がある。思うにそれは上映時間の全てに延々BGMが流れ続けるような―ミュージック・ビデオ(音楽に貼り付けられた・従属物としての映像)的なものでは決してなく、映像と音(音声、環境音、BGM・・)の諸要素それぞれが全く等価なものとして存在するような、様態を指すのだろうか。
また映画に限らず、(ひどくうろ覚えな話だが)ショーペンハウアー曰く「全ての芸術は音楽の境地を目指す」のだとすれば、演劇の中にもまた音楽の境地に近づこうとするものはあり―勿論それは劇中で俳優がギターをかき鳴らしたりバンドの生演奏があったりただ始終BGMで4つ打ちが脈打っていればいいという話でもない―この「ある光」も、音楽に接近しようとする意思を感じさせる作品だった(例えば1つの役を徹底して複数人で演じようとする形式>物語の徹底において、ヘッドフォン、ミラーボールというディティール、または「ある光」は小沢健二、「その指で」はアートスクール、「flowers of lomance」はPILの曲名の引用、という風に)。
そして、3号氏が好きな(らしい)new orderのアルバムで例えるなら、この作品は見た目「technique」かと思いきや実は「low-life」、なのだった。

・僕が最近観た音楽を志向する作品の中に、昨年岸田戯曲賞を受賞し今年も再演ツアーが大きな話題を呼んだ、ままごと「わが星」がある。意識的であったのかどうかは置いておくとして、「わが星」と「ある光」はミクロとマクロの視点を行き来する形で進行し、その終着点として何らかのカタストロフがある、というセカイ系を想起させる作風に共通点を見つけることが出来る。ただ「わが星」が口口口の力を動員しスムースなリズムへのアプローチを計算しつくして作品全体に行き渡らせていたのに対し、「ある光」のあのぎこちなさ・拙さは一体どういうことなのだろう。
僕は、天井に鎮座したミラーボールが静かに回りだすのにあわせて、俳優達が首元に引っ掛けたヘッドフォンを装着し、フロアに響き渡る重低音にあわせて狂ったように踊りだすビキビキのハイエナジーな瞬間を、最初の方はは心のどこかで待っていたのかもしれない。しかし、それは起こらなかった。そしてこの劇が終わる頃には、自分がそういう期待を心のどこかに秘めていたことなどすっかり忘れてしまっていた。

・そして「low-life」はnew orderの3枚目のアルバムであり、打ち込みと生演奏を融合させ、joy divisionの影を振り切るように陽性のポップスをおずおずと奏ではじめた頃のアルバムである。ここでの彼らの演奏は、(そして今でも)どこかぎこちなく、拙い。歌も決して巧いわけではない。だがそれゆえに、その初めての感じは糾弾の対象ではなくむしろとってもチャーミングですらある。僕がこの作品に感じたのもきっとそれと似た大切なものだ。結果的に僕の勝手な期待は宙に浮いたままでいつのまにかどこかに消えてしまったことになるが、馬鹿な地上人が地底人たちの罠に勝手にかかったと言えばそれまでだし、むしろしてやったりなんて思われてるんじゃないだろうか。だとしたら、とても清々しい気分だ。

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・三田村 啓示 
役者/空の驛舎/C.T.T.大阪事務局 現在演劇フリーペーパー「とまる。」に時評連載中

はじめまして。
今回プラズマみかんの人の依頼で劇評(もどき)を書かせて頂くことになりました。だらだら生きてますが失礼の無いようにちゃんとがんばってみます。何卒宜しくお願い致します。
by spacedrama | 2011-07-12 03:51 | s×d2011