「アイサツはハイセツよりタイセツ」 特攻舞台Baku_団
2009年 09月 06日
大好きで止まないバンドが活動休止宣言をしてしまい、
ラストライブでスパークして少々腑抜けになってしまっている仁井千絵です。
それでも人生進んでゆくしかないのです。
前を見てね。
音楽って、すばらしいとかみ締めております。
演者とお客の命のやり取りって言っても過言じゃないです。
さて、今回はそんなバンド活動で音楽と向き合い、
中指立てながら奮闘する主人公と、音楽につかづ離れず寄り添いながら
生きてゆく人々のお話。
この芝居のイメージは「赤」です。
政治的なことではなくて、色としての赤。
血の色でもあるし、情熱を表すときの色でもあるし。
介護と聞けば、とかく真面目で、おちゃらけられへんやんって
感じになりがちな題材なのにどこまでもポップに仕上がってて、
痛快だねぇ~とさえ思わせる。
時折、ロッキーホラーショーを観ている気分にもなれて
米粒を投げそうにもなるくらいに、中へ入っていけました。
ゲストコーナーがあったので、ちょっと一体感を味わう。
うろ覚えの絵だけじゃなくて、アントワネットとは…(笑
施設で生活する人たちに、最初は正直戸惑ってしまいましたが
だんだんと慣れてきた自分がいて、楽しめるんですよね。
一人ひとりが抱えている問題は、個性として捉えることで
支える人間側の個性も光ってくる。
舞台美術も部屋のナンバープレートを移動させて
場所を展開してゆくところ、スキです、この感じ。
観ているうちに幼稚園のときに同じクラスだった子が、
知的障害だったことを思い出した。
クラスの誰しも知っていたけど、だからどーしたって空気だったことも含めて。
彼女は今、どんな生活を送っているのだろうかと、ふと思いを馳せたみた。
家族といるのか、ひとり暮らしているのか、施設にいるのか。
音楽は人を救い、突き落としもする。
芝居の主体は音楽ではないのだろうけど、絡まったことで
重苦しく受け取りがちなことも、そうは見えないし、
義理ではあるけれど母親の持つおおらかさが、ティラミスみたいかも。
濃厚なクリームが重なって、土台のスポンジには濃い目のエスプレッソが染み込んでいて。
いろんな人々がかもし出す、すっぱいフランボワーズソースもかかっていたかな。
そして、芝居のところどころに阿部サダヲの影が見え隠れ…。
これがいいスパイスになっている。
今回は舞台だったけど、映画になっても面白いと思う。
舞台ではできなかった効果を使いながら、映画として世に出しても
楽しめる作品だったと、何の権限もない一般人が勝手に思っています。
介護をする側、される側、私は将来どちらの生活を送ることになるんだろうなぁ。
ちょっと、考えてみた。
ラストライブでスパークして少々腑抜けになってしまっている仁井千絵です。
それでも人生進んでゆくしかないのです。
前を見てね。
音楽って、すばらしいとかみ締めております。
演者とお客の命のやり取りって言っても過言じゃないです。
さて、今回はそんなバンド活動で音楽と向き合い、
中指立てながら奮闘する主人公と、音楽につかづ離れず寄り添いながら
生きてゆく人々のお話。
この芝居のイメージは「赤」です。
政治的なことではなくて、色としての赤。
血の色でもあるし、情熱を表すときの色でもあるし。
介護と聞けば、とかく真面目で、おちゃらけられへんやんって
感じになりがちな題材なのにどこまでもポップに仕上がってて、
痛快だねぇ~とさえ思わせる。
時折、ロッキーホラーショーを観ている気分にもなれて
米粒を投げそうにもなるくらいに、中へ入っていけました。
ゲストコーナーがあったので、ちょっと一体感を味わう。
うろ覚えの絵だけじゃなくて、アントワネットとは…(笑
施設で生活する人たちに、最初は正直戸惑ってしまいましたが
だんだんと慣れてきた自分がいて、楽しめるんですよね。
一人ひとりが抱えている問題は、個性として捉えることで
支える人間側の個性も光ってくる。
舞台美術も部屋のナンバープレートを移動させて
場所を展開してゆくところ、スキです、この感じ。
観ているうちに幼稚園のときに同じクラスだった子が、
知的障害だったことを思い出した。
クラスの誰しも知っていたけど、だからどーしたって空気だったことも含めて。
彼女は今、どんな生活を送っているのだろうかと、ふと思いを馳せたみた。
家族といるのか、ひとり暮らしているのか、施設にいるのか。
音楽は人を救い、突き落としもする。
芝居の主体は音楽ではないのだろうけど、絡まったことで
重苦しく受け取りがちなことも、そうは見えないし、
義理ではあるけれど母親の持つおおらかさが、ティラミスみたいかも。
濃厚なクリームが重なって、土台のスポンジには濃い目のエスプレッソが染み込んでいて。
いろんな人々がかもし出す、すっぱいフランボワーズソースもかかっていたかな。
そして、芝居のところどころに阿部サダヲの影が見え隠れ…。
これがいいスパイスになっている。
今回は舞台だったけど、映画になっても面白いと思う。
舞台ではできなかった効果を使いながら、映画として世に出しても
楽しめる作品だったと、何の権限もない一般人が勝手に思っています。
介護をする側、される側、私は将来どちらの生活を送ることになるんだろうなぁ。
ちょっと、考えてみた。
by spacedrama
| 2009-09-06 23:31
| s×d2009